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三ケ日みかん 革新の軌跡

ブランド戦略<中> 「ミカエース」登場

中村 隆さん

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 三ケ日町柑橘(かんきつ)出荷組合の六代組合長・中村隆(85)=浜松市北区三ケ日町上尾奈=は思案にくれていた。

 ミカンの生産過剰が常態化していた昭和五十年代の後半。それまで三ケ日など浜名湖岸の産地が独占していた中京市場に九州、四国の早生ミカンが押し寄せるようになり、西南暖地に比べ低温で酸抜け(酸度の低下)が遅い湖岸の産地は後退を余儀なくされていた。

 攻勢をかけるのは、産地の強みを生かしたブランド戦略で一歩先を行く和歌山や愛媛の南柑。三ケ日はこれに対抗して極早生の導入も試みたが、味がさえず、市場の反応も冷ややかだった。

 「量はわずかでいい。このミカン戦争を勝ち抜くには、浜名湖産地全体を引っ張る機関車役がほしい」

 中村の頭の隅にあったのは、正月に食べる熟し切った早生ミカンの豊潤な味−じょうのう(房)が柔らかく、口の中で甘くとろけるような味わいだ。三ケ日は酸抜けが遅い分、えりすぐりのミカンだけを十一月下旬まで樹上で完熟させれば、あの味をまとまった量で生み出せるはず…。弱点を逆手に取る発想だが、失敗すれば市場の評価は地に落ちる。一つの賭けだった。

外山允彦さん

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 「完熟早生」の特選出荷が決まったのは一九八四(昭和五十九)年。この年、全国的には裏年の中で三ケ日は天候にも恵まれ、例年にない作柄だった。

 カギを握るのは選果である。出荷を申し込んだ組合員百十一人、見込み生産量三百五十トンに対し、農協柑橘課では園地を選抜し、ふるいに掛けるサンプル検査を二回。さらに最終検査は各荷口から最も劣るミカンを五個抜き取り、糖度一二度以上、酸1・0%以下の条件に満たないものが一つでもあれば落とした。

 難関に挑んだ一人、同町平山の外山允彦(83)が振り返る。

三ケ日みかんの最高級ブランド「ミカエース」

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 「当時、家にあった選果台で収穫したミカンをゴロゴロ転がし、これで採算が合うかと思えるほど何度もえり分けた。平山地区は三ケ日みかん発祥の地で、主産地でもある。やるからにはここから日本一を、という思いがあった」

 厳しい関門を通過したのは外山を含めわずか三十三人。集荷量は五十一トンにとどまった。ネーミングを組合員から募り、清水政平(84)=同町福長=らの「ミカエース」と決まった。

 産地を挙げて世に問うたオリジナルブランド。「日本一の日照条件と、味を引き出す三ケ日の地質。自信があったし、期待通りの評判で入手難から“幻のミカン”とまで呼ばれた」。農協指導係長だった山村新平(65)=細江町気賀=が振り返る。

 「出荷基準にあと一歩届かず、トラック一台ごとミカンを持ち帰ってもらった組合員もいた。ブランド維持のためとはいえ申し訳なさでいっぱいだった」(中村)。チームワークともいえる産地化の歩み。この六年後には主力銘柄・青島も加わり、ミカエースは今も三ケ日みかんのエースナンバーを背負っている。

=敬称略

(編集委員・八木義弘)

 

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