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三ケ日みかん 革新の軌跡

ブランド戦略<上> 手探りの街頭宣伝

大野敏幸さん

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 <詩>遠州三ケ日や 蜜柑(みかん)の本場 野にも山にも 黄金が招く−

 名古屋市郊外の住宅街。路上に止めたトラックのスピーカーから突然、「三ケ日音頭」が流れ出した。

 紺がすりの着物に手甲と脚半、「三ケ日みかん」と染めた手拭いを姉さんかぶりにした女性たちが、軽快なリズムに乗って手踊りを始める。何ごとか?と集まってくる主婦らの手に試食用のミカンを一個ずつ…。踊りの輪を囲むように笑顔の輪が広がった。

 ミカンを配りながら、街頭キャラバンの仕掛け人・大野敏幸(84)=浜松市北区三ケ日町都筑=は確かな手応えをつかんでいた。戦後の混乱を抜け出て、三ケ日産地がようやく発展期を迎えた昭和三十年代後半のことだ。

 「三ケ日みかん」のルーツは一九三一(昭和六)年にさかのぼる。同年春に浜松市で開かれた全国産業博覧会への出品を機に、ポスターに「色よい味よい日持ちよい三ケ日ミカン」のキャッチフレーズを刷り込み、博覧会場や各市場に配ったところ大好評だったという。

 戦後、合併前の旧引佐郡三ケ日町役場で、大野は観光係や農政係に長く籍を置き、町の経済を古くから支える特産品の広告宣伝を一手に担ってきた。

 「当時は農協も出荷組合もミカンを作るのに精いっぱい。歴史はあっても知名度がないから、名古屋も岐阜も市場に出るのは紀州産ばかり。いくらいいものを作っても消費者に知ってもらわにゃ始まらんと、宣伝に明け暮れた。まあ、役場の異端児だったね。『おまえ、農協の職員か』といつも冷やかされた」

街頭宣伝の先頭に立ったミカン娘たち。右上が大野敏幸さん=三ケ日町農協の旧事務所前で(昭和30年代後半撮影)

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 CMという言葉さえない時代。やることすべてが未経験で前例はない。ないないづくしの中から生まれたそのアイデアは、町の青年団から募った「ミカン娘」による街頭宣伝と写真コンテストに始まり、国鉄(現JR)浜松、豊橋駅での駅弁売りをそっくりまねた車窓販売や、名古屋のデパートでの今は当たり前になった試食販売会、今日の農協祭(中日新聞東海本社後援)につながる「三ケ日ミカンまつり」などなど…。半世紀がたった今も、それを語る大野の口は滑らかだ。

 「こんなエピソードもあった」と、大野の後を引き継いだ元商工観光係長の河西昭吉(82)=同町鵺代=が苦笑いする。

 「忘れもしない。名古屋のデパートの地下で試食会をしていると、年配のお客さんが近寄ってきて『この試食会、三日間だけですか?』と真顔で聞くんだよ。三ケ日が静岡県の地名だなんてだれも知らないから、垂れ幕の文字を三カ日(さんがにち)と勘違いして…。ほかにも三日月(みかづき)ミカン、三ケ日(さんけにち)ミカンなどと呼ばれていた」

 ブランド化の陰に汗あり−。それはやがて組合のもとに結束する生産者自身へ受け継がれ、三ケ日みかんの最高峰とされるオリジナルブランド「ミカエース」の誕生に結実する。

=敬称略

(編集委員・八木義弘)

 

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