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三ケ日みかん 革新の軌跡

大暴落<下> ネーブルとハウスミカン

河合二三雄さん

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 浜松市北区三ケ日町平山のミカン農家の庭先に、「森田ネーブル発祥之地」と刻まれた碑が立っている。町柑橘(かんきつ)出荷組合の八代組合長を務めた森田勝男(80)の父・要市(一九七四年没)が発見、命名した「森田ネーブル」は、ミカン産地・三ケ日のもう一つの顔として市場で確たる地位を占めている。

 戦後、養蚕からミカン栽培に転じた要市が、庭に植わっていた在来種ワシントンネーブルの枝変わり(突然変異)を見つけたのが四八年。ネーブルは甘味と酸味のバランスがほどよい早生オレンジで、花は咲いてもなりにくいのが欠点だが、その一本だけは毎年、不思議と多くの実を付ける。しかも、果汁豊富で味も濃厚。東京の神田市場に出すとミカンの三倍の値が付いたという。

自宅の庭に立つ「森田ネーブル発祥之地」の碑を前に産地化の歴史を語る森田勝男さん=浜松市北区三ケ日町平山で

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 ネーブルといえば隣の細江町が発祥の白柳ネーブルが有名だが、森田ネーブルは白柳に比べやや酸味が強い分、熟成させ三月半ばから晩生(おくて)として出荷できる。「平山地区は戦前の三ケ日みかんの発展に尽くした山田猛はじめ昔からネーブル栽培が盛んで、地元生まれの優良種を皆で育てようとすぐに有志が集まった」(森田)

 六一年には意欲的な農家五人で「森田会」が発足。自園に接ぎ木して育てる傍ら、県柑橘試験場三ケ日母樹園などと特性や栽培技術の研究に取り組んだ。そのネーブルが一躍、脚光を浴びたのは、全国的な生産過剰でミカン価格が大暴落した七〇年代以降。有利な転換作物として三ケ日でも広く普及し、七六年には農林省(当時)の種苗登録品種になった。

 「寒さに弱いなど栽培が難しく途中であきらめた人も多かったが、値段の良さにほれて今日まで続けてきた」(森田)。一時のブームも度重なる寒波被害やオレンジの輸入自由化で下火になり、ピーク時に三百トンあった生産量が今は百トン前後に減っている。

色づいたハウスミカンを収穫する藤山恵司さん=浜松市北区三ケ日町福長で

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 生産過剰=大暴落をきっかけに生まれた新しい柑橘経営。三ケ日のハウスミカンもその一例だ。

 ハウスミカンは早生温州を加温ハウスで育てて開花時期を早める。成熟期に雨を避けて乾燥状態にできるため糖度が高い。

 先駆けとなった同町日比沢の河合二三雄(67)が、ミカン畑に大きな鉄骨ハウスを建てたのは七三年。「当時はまだ国内でも二、三軒だけ。温泉熱を利用した伊豆の栽培農家など、日本中を訪ね歩いて教えを請うた」

 文字通りの手探りだったが、お盆需要を狙った八月出荷が大当たり。「真夏に生のミカンが食べられる」と評判を呼び、普通ミカンが一キロ当たり八十円、ネーブルが同二百五十円のところ、希少価値から八百円の高値が付いた。

 「今も首を長くして待っていてくれるお客さんがいるのがやりがい」。栽培歴二十七年になる同町福長の藤山恵司(75)はそう話す。ネーブルとハウスミカン。青島温州が三ケ日みかんの主役なら、個性で勝負の名脇役と呼びたい存在だ。

=敬称略

(編集委員・八木義弘)

 

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