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三ケ日みかん 革新の軌跡

大暴落<中> 高糖度「青島」だけ出荷

ミカン園を駆け回ったころを振り返る川崎博久さん。今もオートバイを愛用する=浜松市北区三ケ日町大谷で

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 「高糖度の青島温州だけを選んで出荷してみては…」

 全国的な生産過剰からミカン価格が大暴落した一九七二(昭和四十七)年。三ケ日町農協の柑橘(かんきつ)技術員、川崎博久(65)=浜松市北区三ケ日町大谷=がオートバイを駆って町中のミカン園を見て回り、ふと浮かんだアイデア。それはすぐに「いける」という確信に変わった。

 サンプルを採取して測ってみると、青島は平均糖度が在来種より一・五度も高く、中には一六度と「蜜の塊」(川崎)のようなものまであった。六五年に町の奨励系統となり、栽培農家はまだ百人足らずだったが、総面積では百ヘクタールに達し、まとまった量が確保できる。しかも農協や出荷組合の後押しで毎年二万五千本の苗木が植えられ、生産基盤は年を追うごとに広がっていた。 

 「青島は普通、年明けからの出荷だが、市場で存在感をアピールするには十二月には顔を出す(出回る)必要がある。柑橘出荷組合の久米邦市組合長(故人)にそう直談判すると、即決で『よし、年末出荷でやろう』となった。よく管理された生育のいい畑を厳選して、生産者にもえりすぐりのミカンをと呼び掛けた」

 例年なら歳暮シーズンの贈答需要が高値を呼ぶ東京市場。狙いは的中した。ミカン相場の値崩れが続く中、普通種が一キロ当たり平均単価五十八円に対し八十二、三円という高値。大暴落に意気消沈する組合員は、暗闇に一点の光明を見るようだった。

 「三ケ日には青島があったから、暴落のダメージも他産地ほどではなかった」。そう話すのは、戦後の再建期から営農の第一線に身を置いてきた元経済部長の高橋一馬(85)=同町三ケ日。

 作れば売れる右肩上がりの時代が去り、生産過剰による産地間競争が激化した七〇年代。生き残るには消費者の嗜好(しこう)の変化に合った高品質ミカンが求められていた。今でこそ青島といえば三ケ日みかんの代名詞だが、そうなるまでの道のりは平たんではない。

 というのも、青島にはそれまでにない味や美観の半面、大玉化の傾向や表、裏年で収量が大きく変わる欠点があった。未知で手間のかかる栽培技術に加え、農家の抵抗が強かったのが、成木の在来種を伐採して青島に植え替える改植だ。

 「苗木も満足にない時代、組合の支部で共同育苗して、まず意欲的な若い農家に供給した。昔からの農家は保守的で、大部分が改植に反対だった」。七五年から三年間、出荷組合の組合長を務めた渥美秀雄(90)=同町駒場=は振り返る。

 「せっかく実がなっている木をなぜ切らにゃいかんのか、後々の保証はあるのかと…。説得に回る地区座談会で、年配の組合員にひどくしかられ、冷やかされたもんです。『また、青島君が来たか』って」(高橋)

 在来種を一掃して青島へ特化する−。大暴落に学んだ確固たる姿勢は、同時に、愛媛や和歌山に比べて三ケ日産地の群を抜く“若さ”にもつながっていく。

=敬称略

(編集委員・八木義弘)

 

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