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三ケ日みかん 革新の軌跡

うなるブルドーザー 次々開墾 王国に飛躍

山本美彦さん

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 山頂へ続く農道を息を切らして上りきると、湖西市の家並みの向こうに浜名湖の湖面が光って見えた。六月下旬。斜面に広がる段々畑にはミカンの花が甘い香りを放っている。

 「山から引いたわき水に朝、サンマを何匹も冷やしとくんだよ。お昼になると、それを焼いて三家族、輪になって食べた。開墾の仕事は、そりゃあきつかったけど夢があったね」。愛知県境に近い湖西市大知波の山懐。浜松市北区三ケ日町只木の高橋文子(79)が、ミカン仲間の三夫婦で出作(でさく)を始めた昭和四十年代のころを懐かしむ。

 昭和三十年代後半から四十年代にかけ、日本の柑橘(かんきつ)産業は大きな発展期を迎え、国を挙げてのミカンブームが起こった。静岡県でも国営、県営開拓パイロット事業が次々と行われ、三ケ日町では広大な国有林の払い下げをてこに、西遠柑橘開発協議会による造成だけで千七百ヘクタールものミカン園が出現した。これが今日の「三ケ日みかん」の土台となり、将来的な年間生産量約三万トンと一躍、全国にその名を知られるミカン王国に躍り出た。

昭和40年代初めに「出作」で開墾したミカン園で当時の思い出を語る、左から山本恵子さん、山本とし子さん、高橋文子さん=湖西市大知波で

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 “主役”は、新たに登場したブルドーザーだった。それまでの手開墾に比べ十倍以上の作業能率に加え、大型機械の搬入が大規模な集団栽培や農道、かんがい施設の整備を促した。

 文子が住む只木地区はその先駆けだった。折から始まった構造改善事業では、機械開墾した園地にミカン農家が総出で農協の奨励系統に決まった青島の苗を一斉に植えた。

 「家を新築するか、山を買ってミカンの規模をもっと増やすか。父に『どっちにしよう?』と聞かれ、家族全員が山を買う方に賛成した」と、JAみっかびの農産物加工グループ役員を務める同町只木の山本恵子(62)。

 湖西への出作もそんな右肩上がりな時代の勢いだった。恵子の父がミカン仲間だった文子の夫や山本とし子(81)の夫(いずれも故人)と語らい、三ケ日と地続きで土質がミカンに適する大知波に新天地を求めた。「山の雑木を切り払い、ブルドーザーが斜面をガーッと地ならしする。ごろごろ出てくる石を、一輪車で畑の周囲に並べるのが私らの仕事だった」(とし子)

 JAみっかびの元信用共済部長、山本美彦(71)には、駆け出しのころよく乗ったポンポン(オートバイ)の土ぼこりが目に浮かぶ。三ケ日町と浜松の街なかにあった県信連(県信用農業協同組合連合会)浜松支店を結ぶ姫街道。未舗装だったその道を何度、あくせく往復したことか。「規模を増やそうにも農家は資金がないし、再建間もない農協にもカネはない。融資が決まり、上司から『さあ大急ぎで借りてこい』と。すっ飛んで行った県信連で運転資金を借りると、そのかばんを荷台にくくりつけて帰りのハンドルを握った」

 ブルドーザーのうなりと、巻き上がる土ぼこり。前へ前へと駆け抜けた山本たちの胸に今も去来するのは、底抜けにエネルギッシュだった時代の躍動だ。

=敬称略

(編集委員・八木義弘)

 

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