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三ケ日みかん 革新の軌跡

主力銘柄「青島」<下> 改植、母樹園が原点

高橋一馬さん

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 「三ケ日はこの先、どんなミカンを植えたらいいんだ?」

 母樹園を訪ねてきた三ケ日町農協(浜松市北区)の経済部長、高橋一馬(84)=同町三ケ日=からこう尋ねられると、日ごろから親しい初代園長、野呂徳男(88)=静岡市清水区川原町=は断言した。

 「青島だ」

 異常寒波が日本列島を襲った一九六三(昭和三十八)年。湖西市北部の開拓地への出作(でさく)を通して青島温州の発見者、青島平十と出会った三ケ日のミカン農家たち。寒波の大被害でがぜん耐寒性が注目された青島は、六五年に県と同農協の奨励系統(品種)となるが、実はそれ以前から青島に着目していた地元の研究施設があった。県柑橘(かんきつ)試験場西遠分場の出先機関、三ケ日母樹園だ。

野呂徳男さん

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 ミカンの苗木は、丈夫で根張りの良いカラタチを台木に、実をならせたいミカンの枝から新芽(穂木)を摘んで接ぎ木する。母樹園は、穂木の育成と農家への供給を目的に、西遠分場長だった山岡照平(九五年没)らの尽力で戦後、農地解放された開南組農場の一角に開かれた。

 青島はそれまでの奨励系統の石川より糖度が高く、味にこくがあり、厚皮だが品のある扁平(へんぺい)な外観。三ケ日では市場性を見込んだ一部農家が早くから取り入れていたが、農協でも寒波の年に苗木を導入。天竜区佐久間町の冷涼地で試験栽培していた。

井口功さん

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 「常識を疑ってかかるのが仕事だった」。五五年に母樹園に入り、青島の評価に一貫してかかわった元技師の井口功(80)=同町釣=が語る。

 「青島を初めて試食して思ったんです。このミカンは実が大きいのに不思議とうまい。“大果は大味”が世間の常識だが、本当なのか…。とにかく自分でデータを取ってみようと」

 約二ヘクタールの園内で苗木を丹精し、来る日も来る日も皮と実の比率を測り、糖度を測った。結果は、それまでの常識を覆すものだった。

 もう一つ。青島は外皮や中のじょうのう(房)が厚い。それが寒さに強い理由だが、食べにくく、大きな欠点とされていた。しかし、逆に品傷みにつながる浮き皮が少なく、収穫後、熟成して出荷する貯蔵ミカンに向く。これも大量のサンプルをもとに実証し、試験場の研究発表の場でアピールした。弱点を逆手に取る発想だった。

 同じころ−。営農の第一線に立つ高橋一馬はある難題を抱えていた。出荷先の東京や名古屋の市場へ顔を出すと、市場関係者からこんな苦情を聞かされる。「三ケ日みかんには一つ、大きな問題がある。味にばらつきがあることだ」。調べてみると、町内のミカン畑には当時、十四、五種類もの在来種が植えられていた。同じ温州でも、高値狙いの希少種だったり、好みだったりと、農家の思惑だけでばらばらだった。

 「母樹園で野呂さんや井口さんから『これからは青島の時代』と聞き、それっとばかり全組合員への説明と、改植(植え替え)の説得が始まった。青島以外は、実がなり始めた若木もいずれは切ってもらう必要があった」(高橋)。

 需要拡大と産地間競争の激化の中で、市場からは同じ味、同じ品質のミカンを大量に供給できる系統出荷が求められていた。「銘柄産地」への長い挑戦の始まりだった。

=敬称略

(編集委員・八木義弘)

 

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