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三ケ日みかん 革新の軌跡

主力銘柄「青島」<上> 極東寒波で大被害

雪の中、大分県杵築市のパイロット事業を視察する三ケ日のミカン農家ら

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 ミカン畑に不似合いな雪が舞っていた。一月とはいえ、ここは暖国・大分県の国東半島だ。三ケ日町農協(浜松市北区)の柑橘(かんきつ)専任技術員、清水理(おさむ)(75)は、同行視察の若手農家らと不安に駆られていた。

 経済発展に歩を合わせるようにミカン需要も急増していた一九六三(昭和三十八)年。新興産地・九州のトップランナーと言われた大分県杵築(きつき)市では、半島の地図を塗り替えるほどの壮大な国営パイロット事業に全国から視察団が殺到していた。

 雪は、その杵築のミカンの梢(こずえ)まで真っ白に覆っていた。「三ケ日は大丈夫だろうか…」。帰りの列車も関ケ原付近で足止め。ようやく戻ると、異様な光景がそこに広がっていた。

 この年、一月上旬から二月上旬にかけ日本を襲った寒波は、気候温暖なミカン産地にそれまでにない大雪を降らせ、各地で冷えと強風による凍結害が発生した。

 県西部、特に浜名湖北岸と、ミカンの増殖が盛んだった三方原台地の被害は甚大だった。三ケ日町では、同町釣の開南組跡地にできた三ケ日母樹園で最低気温がマイナス九・四度を記録した。

 「茶褐色に変化した葉は、風が吹くたびにカラカラという金属音をたてて落ちた」(三ケ日町農協三十年史)「どのミカンの木も葉が全部落ちて枝だけになり、竹ぼうきの先のようだった」=同町只木の山本とし子(81)。

 激甚地区の指定を受けて現地に対策本部が置かれ、杵築から戻った清水もすぐにその指導班に組み込まれた。「県の指導員と連日、町内外の被害園をくまなく見て回った。地形が平坦(たん)で冷気が滞る三方原台地が特にひどかった。少しでも夜間の冷えを防ごうと、ミカン園の隅のあちこちで古タイヤに灯油をかけ一晩中、燃やし続けた」

 「極東寒波」と呼ばれたこの異常気象で、県内のミカン被害は八十八億円に上った。発展期を迎え、植えて間もない幼木が多い三ケ日産地は特に打撃が大きかった。ところが、そのダメージを時代の波が押し返した。

 寒波は多くの教訓を残していた。その一つが、平坦地に比べ山腹の斜面や丘陵地の被害が極端に少ないことだった。

 浜名湖の奥座敷ともいわれる三ケ日地区は、赤石山脈の裾にあり、秩父古生層と呼ぶ赤土が豊穣(ほうじょう)なミカンを作り出す。やせ地だが、味を引き出すミネラルが多い。その地質が西は湖西市北部の丘陵へと続いている。右肩上がりの需要を背景に、この時期、三ケ日の生産者らが競うように湖西へミカン園の開拓に出た。出作(でさく)と呼んだ。

 その湖西に、静岡市からはるばる出作に来ていたミカン農家がいた。「青島温州」の発見者、青島平十(一八八七〜一九七二)だった。在来種の枝変わり(突然変異)から偶然見つかったという青島は、その秀でた味や外観とともに、葉や外皮が厚く、寒さに強いともっぱらの評判だった。

=敬称略

(編集委員・八木義弘)

 

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