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三ケ日みかん 革新の軌跡

農協倒産<中> 再建担った若い力

農協再建の時代を振り返る中川晋さん=浜松市北区三ケ日町福長で

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 「自分の体が遠くへ行ってしまうような感じだった」。旧三ケ日町農協が巨額の欠損発覚で県から貯金支払い停止命令を出され、経営破綻した一九五一(昭和二十六)年五月。経理担当だった中川晋(88)=浜松市北区三ケ日町福長=が、放心と屈辱からはい上がるまでを後々の「くみあいだより」に書いている。破綻当時は三十七人の職員がいたが、再建に向け事務整理を始めた翌年春には人件費の安い若手だけを残しわずか七人になっていた。

 「赤い鉄のごとく」(八八年、同農協刊)と題する本がある。副題が「三ケ日町農協再建の風雲児 中川晋人物記」。表紙の絵は、青年のたくましい手がミカンの若木をつかんでいる。著者の山本美彦(71)=同町只木=は元信用共済部長で、在職当時、日本農業新聞に連載した記事をB5判九十ページにまとめた。

 「さまざまなことがあったあの時代。困難を乗り越えていった先輩たちは、仕事ぶりにも人間性にも特筆すべきリーダーシップがあった」(山本)

 役員への厳しい責任追及と大量の人員整理。組合解散も取り沙汰された混乱と紛糾の中からの再出発だった。本では総務主任として先頭に立った中川と高橋一馬(84)=後の経済部長=ら若い同僚たちにスポットを当てながら、戦後日本の農協運動のモデルにもなった「三ケ日の挑戦」を描いている。

三ケ日の経験をブラジルやタイで生かした石橋憲二さん

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 再建の鍵は何だったのか。時代は下るが、六〇年代に在職した石橋憲二(87)=同町宇志=がこんなエピソードを語る。

 柑橘(かんきつ)技術員として農協へ入ったはずの石橋が中川に指示されたのは、経営の要となる五カ年計画の策定だった。数字に明るい石橋だったが、驚いたのはその立案手順の緻密さだ。

 町内の全農家にまず五年後の所得目標を定めてもらう。そのためには経営規模をいつ、どれだけ増やせば実現できるのか、必要な人手をどう確保するのか。戸別に経営計画を立ててもらい、その数字を積み上げて農協全体の計画にするという。机上のプランづくりとは正反対。一軒一軒、職員が総掛かりで調べて集計した数字は、五年後の決算にピタリと一致した。

 「『大企業の部長に負けない所得を』と、中川さんの組合員への掛け声はいつも具体的で夢があった。改革の成功例があると聞けばどこへでも出掛けて行って学び、すぐ実行した。時には『ものまね三ケ日』とやゆされたが、そんな声は歯牙にもかけなかった」。石橋は振り返る。

 石橋はその後、経営管理の経験を買われ、国際協力機構(JICA)の依頼でブラジルのアマゾン川流域にある日系人農協へ。コショウ栽培の失敗で経営難に陥っていた農協を三ケ日方式で見事、再建してみせた。さらにその実績からタイ北部の農村に招かれ、同機構が取り組んでいた農協振興プロジェクトを現地の青年たちと軌道に乗せている。「三ケ日で中川さんに学んだことがブラジルで生き、ブラジルで学んだことがタイで役立った」。奇縁に導かれた農協人生を石橋はそう振り返る。

=敬称略

(編集委員・八木義弘)

 

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