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静岡経済 ヒットの系譜

東亜工業 ギョーザ製造機

◆食文化 世界目指す

ギョーザのあんを素早く包んでいく東亜工業のギョーザ製造機=浜松市東区で

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 ギョーザの皮が装置の上に滑り出すと、タイミングよく中身のあん(具)が落ちて、プレス機のように皮が包み込む。人の手では一時間で二百個程度の作業だが、東亜工業(浜松市北区)のギョーザ製造機は最大で一万個を作れる。

 「うちの機械が包んだギョーザを皆さんは結構食べているはずです」。請井(うけい)正社長(45)が語るように、このギョーザ製造機は国内で六割の市場占有率(シェア)を誇る。

 請井社長は営業で五年間、全国各地を回った。「食べたギョーザの種類と量は日本一だ」と自負する。こうした経験を基に店舗やスーパーからの細かな注文に応じてきた。

 独自のオーダーシートに、たねの重さや皮の大きさなどを書き込んでもらって、一台ずつ作り込んでいく。ギョーザ製造機の「オーダーメード」だ。

 皮の厚みは〇・一ミリ以下の単位まで考慮して作る技術を持つ。「宇都宮など北関東のギョーザはたねが大きい。西に行くにつれて小さくなる」というが、全国どの地域から発注があっても最適な製品を納品ができる。

 父で先代社長の請井由夫さんは、戦後に人気を博したバイク「ライラック」で知られる丸正自動車製造に勤務。一九六三(昭和三十八)年に独立し、自動車部品の金型製造に取り組んだ。由夫さんがギョーザ店で食事をしていた時、店の主人が苦労してギョーザを包むのを目の当たりにして、作業を自動化できないかと考えたのが開発の発端だ。

 自動車産業が隆盛期に入った時代に、誰も作ったことのない「ものづくり」に挑んだ。「見本がない状態からアイデアをひねり出して形を作っていた時は、大変な苦労があったようだ」と請井社長は思いをはせる。

 「浜松餃子(ギョーザ)」は戦後、中国からの復員兵が戦地での食体験を基に作ったのが始まりとされる。東亜工業は七六年にギョーザ製造機を発売。浜松市内でギョーザ店が増えるとともに販売は伸びて、二年後には累計五百台を売った。数年後に自動車部品から撤退して以来、四十年近く一貫してギョーザ製造機を手掛ける。

 「ギョーザ製造機は既に、国内市場でかなり行き渡っている」と話す請井社長。現在の目標は、ギョーザを「スキヤキ」に並ぶ国際語「Gyoza」として有名にすること。「(米ニューヨークの)ヤンキースタジアムで、ビールのつまみとしてギョーザを売りたい」と夢を膨らませる。

 二年前、同社の製品を店頭に置いて、包みたてのギョーザを焼いて提供する飲食店「浜太郎」を浜松市東区に開店した。こうした店舗の海外展開を練っており、「食べたことのない地域にこの文化を伝える。その結果、装置の需要がついてくれば」(請井社長)という。ギョーザ製造機メーカーを超えた「食文化の伝道者」への飛躍を目指す。

(白山泉、写真も)

 

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