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浜松海の星高校50周年 一粒の麦が地に落ちて

3人の修道女 日記に残る開学の苦闘

50年前の日記の写しを読むシスターたち=浜松市三ケ日町の海の星修道院で

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 浜名湖の北西に広がる支湖、猪鼻湖が一望できる聖ベルナルド女子修道会・海の星修道院(浜松市三ケ日町)に、二冊の日記の写しが残されている。同校前理事長で、今は同修道院で祈りの日々を送るニコル・ベルナデット・カニヴェ(75)は「本高校創立時の大変さは、この日記を読み返すとよく分かります」。先人たちの奮闘に、静かに思いをはせる。

 一九五四(昭和二十九)年八月、後に海の星高校の初代理事長となるマリー・テレーズ・アングルビエンヌら三人の修道女は南フランスを出港、約一カ月後に横浜港に到着した。来日の呼び水となったのは、当時静岡雙葉学園(静岡市葵区)を運営していた「幼きイエス会」(サンモール修道会)のメール・サント・アンリー院長。当時は静岡と名古屋の間にカトリック校が無く、同院長は「日本に宣教にいらっしゃいませんか」と、従姉妹(いとこ)でもあったベルナルド会のメール・ジョセフ総長に打診。話がまとまり、アングルビエンヌら三人が派遣された。

 三人はまず東京で日本語を学び、来日から約一年後、初めて浜松を訪問。やがて雙葉学園の支援も得て、浜松市蜆塚の茶畑に高校を設立する運びとなった。修道院に残されている日記は、三人のうちの一人が記したもの。土地所有者との交渉、教育委員会への申請、校舎建設など、草創期の事柄が達筆のフランス語でびっしりと記録され、三人の異国での苦闘ぶりをしのばせている。

 五六年春の最初の入学式で百六十一人を迎え、以来、これまで一万四千三百二十四人が巣立った。この間、アングルビエンヌ初代理事長の死去(七九年)、二十五周年式典、新校舎建設(九六年)など多くの出来事があり、九八年四月から、経営はスペインに本部を置くスピノラ修道女会に移った。三人の後輩にあたり、アングルビエンヌに続き十八年間理事長を務めたカニヴェは「今日学校があるのは、雙葉やスピノラ会のシスター、そして地域の皆さま方のおかげです」と、流ちょうな日本語で思いを語る。

 「海の星」という校名は、中世の修道士、聖ベルナルドが聖母マリアをそう呼んだことからつけた。大洋を航海する船を安全に港まで導いてくれる−という信頼の思いが込められている。浜松の空に輝く「海の星」は、これからも生徒たちを導き続ける。(文中敬称略)

 

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