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周智高校100周年 一藤の藤

学校の歩み (3) 戦後の昭和 時代の花形に機械科を

1961年(昭和36)年当時の正門と校舎

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 戦後の混乱期、高校も激動の時代を迎える。一九四九(昭和二十四)年、隣接していた「県立森高校」との統合の方針が、県から打ち出された。地域住民は「両校の特殊性がなくなる」と、現状維持を陳情したが認められず、両校は統合。「県立周智高校」と改称した。

 新高校には農業科と普通科が設置されたが、校舎は分離したままで、両科の特徴が生かされない学校運営に、生徒や地域の不満が高まった。四年後、両校は分離独立。高校は、再び「県立周智農林高校」の校名に改称することになった。

 高度経済成長期に入ると、工業が花形産業として注目された。新たな時代を迎えた高校は六八年、これまでの農業、林業、家庭の三科を、園芸、生活、機械の三科に再編。校名が現在の「県立周智高校」になったのはこのときだ。新設された機械科への期待は特に高く、崇高な意識を持つ機械技術者の養成に力を注いだ。

 校名は変わったが、地域の年配者の多くは今でも、地元の農林業の発展を目指した時代の高校に愛着を込め「周智農林」と呼んでいる。

 七〇年代には、老朽化した木造校舎や実習棟が取り壊され、新校舎の建築ラッシュが始まる。鉄筋四階建ての本館校舎、実習棟や体育館、格技場などの施設が次々建てられた。七十周年を迎えた七七年には、記念事業として合宿施設を備えた生活館が新築されグラウンドが改修されて施設は一層充実していった。

 機械科で学んだ第七十四回生の山本薫さん(43)=掛川市寺島=は「実習授業が多く、ものづくりの基本を学べた。今の仕事(製造業)に役立っている」と話す。

 昭和が平成になるころには、卒業生は七千七百人を超えた。

頑張っていること 二年・陸上部 鈴木英雄さん

 今、頑張っていることは部活動です。陸上部に所属し、やり投げをしています。秋の新人戦では、東海大会出場の切符を手に入れることができ、これ以上ないくらい充実した日々をかみしめています。今後は全国大会出場を目標に、常に上を目指して精進を重ね、夢を追い続けていきます。(文中敬称略)

 

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