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周智高校100周年 一藤の藤

学校の歩み (2) 開学から終戦まで 戦火激化で勉学遠のく

戦時中、射撃訓練などの軍事教練に明け暮れた第36回生

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 一九〇六(明治三十九)年四月、「私立周智農林学校」として誕生した学校は、一二(明治四十五、大正元)年、郡に学校運営を移管され「周智郡立周智農林学校」と改称した。二二年には、郡制の廃止に伴い「県立周智農林学校」と改称し、新たな歩みをスタートさせた。

 県に移管された翌年、二階建ての新校舎が完成。二九(昭和四)年には校歌が制定された。校歌の作詞は「夕日」「村祭」で知られる葛原しげる氏、作曲は「汽車」の大和田愛羅氏が手がけた。「誠実を不断の杖(つえ)として」「勤労己が乗る船にして」などの建学の精神が込められ現在も歌い継がれている。

 学校が徐々に活気を帯びていく一方、国内は軍事色が強まり、戦争の足音が忍び寄っていた。生徒たちはゲートルを巻いて登校し、配属将校から軍事教練を受ける日々が続いた。第三十五回生の小栗敬さん(84)=森町森=は「全校一体となって教練に励む毎日だった。射撃大会入賞や査閲で優秀と認められ、周囲から『周農恐るべし』とされ感激した」と話す。

 戦火が激しさを増すと、農業技術を学ぶ生徒たちは「お国のため」と勤労奉仕隊として北海道などに動員され、農業に汗を流した。奉仕隊の一員として同級生三十人と北海道十勝に派遣された三十六回生の村松(旧姓・渡辺)金吾さん(80)=森町森=は「当時は勉強どころではなかった。北海道での農業体験は望郷の念に駆られたが、仲間と励まし合って過ごした」と振り返る。

 四五年、終戦を迎え学校にも平穏が戻った。戦後の学制改革で校名を「周智農業高等学校」と改め、中学校の併設や定時制課程が設置されほか、山間部の春野地区に犬居分校(現・県立春野高校)が開設された。

チーム仲間が支え  三年・サッカー部主将 岡部享さん

 僕は三年間、サッカー部で頑張ってきました。二、三年は主将を任され、自分一人ではできなかったことも、チームの仲間が支えてくれたから務めることができました。高校最後の試合は、満足な結果ではなかったけど、仲間たちは頑張ってくれました。誇りを持って卒業していけます。(文中敬称略) 

 

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