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西遠女子学園100周年 忘るるなかれ若き日を

校史(8) 進化する学園と富郎校長の死

昭和49年にできたレストハウスで、生徒たちと語り合う岡本富郎(右)=昭和50年ごろ

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教育に情熱 85年の生涯

 「学園の一木一草、一塊の石にいたるまで、私の思い出のないものはない」

 学校でなく“学園”。環境が人を育てると強い信念を持つ岡本富郎は、建物だけでなく、一つの木一つの草花に至るまで気持ちを込めて学園を作り上げた。「太陽がじりじりと照りつける夏の日。ずっと芝生の草を抜いている父の姿が思い出されます。今、自分がそうしていると、父と対話している気がして」。富郎の長男で現学校長の岡本肇(65)は懐かしむ。

 教育環境の整備が着々と進んでいく一方で、教育内容も充実。人間教育に力を入れる校風に魅力を感じて志願者も増加した。第一次ベビーブームで、一九六〇(昭和三十五)年度の入学生から中学十八学級、高校二十一学級に。同三十八年度には生徒数二千人を突破。同四十年度の二千百七十人をピークに同四十六年度まで二千人以上の在校生がいた。少しずつ増えていた大学進学者も昭和四十年代には急増。生徒の半数以上が進学するようになった。

 服部真子(46)=高校三十回、浜松市東若林町=は「多感で、人間として一番成長できる時期を西遠で過ごせたことを、とても幸せに思っています」と話す。

 ◇ ◇

 昭和四十九年七月、富郎は四十二年間にわたって続けてきた校長職を、浜松工業高の校長も務めた佐藤盛一にバトンタッチ。佐藤は(1)学力の強化向上(2)生活指導の徹底強化(3)体力の強化向上の三つを重点目標に掲げた。同五十四年春には、同学園の卒業生である中村静=高女十八回=が佐藤の後任に。そして昭和五十七年四月、現学校長の肇が就任した。同五十九年度限りで高校の募集をやめるとともに、中高一貫の長所を生かそうと、入寮や掃除など上級生が下級生を指導する“姉妹活動”を重視。英語の少人数授業なども導入した。

 ◇ ◇

 教育にかける情熱と人を引きつける魅力にあふれ、「岡本富郎の西遠」とも言われるほど多くの人に慕われた富郎。昭和六十年十二月三十一日、間近に迫った同学園の八十周年を前に、八十五年の生涯に幕を閉じた。

私と西遠 二年(中二)菊組 奥村有紀子さん

 私は先日遠足で秋葉山の険しい山道を登りました。決して楽なものではありませんでしたが、背中を押し、励ましてくれた友人たちの言葉が、とても心強く感じました。西遠では八月に富士登山があります。百周年という記念すべき年に出会えた仲間たち。そんな仲間たちと、富士登山や西遠で行われる数々の行事に、協力し合い、全力で挑んでいきたいと思います。(文中敬称略)

 

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