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西遠女子学園100周年 忘るるなかれ若き日を

校史(7) 新学制の施行と学園施設の充実

昭和24年に建設された体育館。当時はまだ、体育館のある学校は珍しかった

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昭和24年に体育館建設

 一九四五(昭和二十)年八月十五日。十数回の空襲と艦砲射撃で大きく破壊された浜松。一面の焼け野原に、わずかに焼け残った西遠高女の校舎と蒲神社の森があった。大きな犠牲と悲しみを背負いながらも、再び訪れた平和の中で、新たな学園の教育が始まった。

 昭和二十二年の新学制の施行を受け、西遠女子学園中学校を設置し、新入生を募集。旧制の高等女学校一、二年生はそれぞれ新制中学二、三年生へ進級した。同高校は全日制普通高校として発足。浜松淑徳女子商業学校は、西遠女子学園高校へ吸収合併の形で、その歴史を閉じた。

 また、男女共学制が新学制の大きな特色だったが、岡本富郎は建学の精神を尊重し、創立以来の女子教育の伝統を貫いていくことを決意。戦前からの校訓「典雅荘重」「強く、正しく、朗らかに(後に美しく)」に、「よき社会人、よき家庭人」が加えられた。

 ◇ ◇

 「良い環境は良い人間を作る」−。富郎の方針で、厳しい社会情勢、潤沢とはいえない財政状況をおして、学園の施設整備が着々と進められた。昭和二十二年、音楽室と美術室を備えた棟を増築。修身堂を図書館閲覧室に改修し、隣に書庫もできた。同二十四年には当時の学校にはまだ珍しい体育館も建設。二十七年には講堂を大改修し、鐘塔と時計塔を兼ねた塔屋が設置され、英・ウエストミンスター寺院の鐘の音が響いた。

 昭和二十年四月に入学し、学制や学園の変化のまっただ中で学んだ吉田弘子(73)=高校三回、浜松市広沢=は「自分の好きな科目が選んで勉強できるのがとても楽しくって。新しくできた体育館も立派で、先生も生徒も一緒になってフォークダンスを楽しみました」と目を細める。

 昭和三十年には創立五十周年を記念して、学園初の鉄筋コンクリート建ての記念館を建設。さらに中高二部制の基盤となる中学館、どこからでも黒板が見やすいようにと工夫された扇形の高校館、生活会館など、学園の環境はどんどん充実していった。

 ◇ ◇

 昭和二十年代から三十年代にかけては、運動部がめざましく活躍。陸上競技部は昭和二十二年以降毎年国体に出場し、同三十、三十四年にはインターハイで総合優勝。バレーボール部も同二十七年から毎年インターハイ出場を続け、同三十六年には十年連続出場の日本記録を作った。テニス部も同二十九年以降毎年のようにインターハイに出場。三十九年には国体で優勝を飾った。

私と西遠 四年(高一)星組 三倉 南さん

 私は百人一首部に所属しています。競技カルタのことなど中学入学まで何も知りませんでしたが、入部してみると、先輩も優しく、競技も面白かったので夢中になりました。大会で成果を挙げるのは難しいですが、部活の楽しさと顧問の先生や先輩のアドバイスのおかげで昇段することができました。今は六月の団体戦に向けて頑張っています。(文中敬称略)

 

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