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西遠女子学園100周年 忘るるなかれ若き日を

校史(5) 家庭寮教育の始まりと老校長の死

老校長として皆に慕われていたころの岡本巌

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寝食を共に、時に厳しく

 人間を育てる−。新校長岡本富郎の教育方針の第一は全人的な人間教育だった。「真の教育は壇上からの授業だけではない。教師と生徒が寝食を共にする生活をしながら、学校教育の実際化と家庭教育の理論化ができる施設をつくろう」。富郎の新しい教育理想の実現の場として一九三三(昭和八)年、最初の家庭寮が西遠高女の敷地内に建てられた。

 「みんなおてんばさんの集まり。いつも和服に着替えるのですが、パーッと足を広げて足袋をはく姿に寮母様がびっくりなさって」。初めての入寮生だった小野ふさ(89)=高女二十二回、浜松市二俣町=は目を細める。米のとぎ方、風呂の洗い方、布団の上げ下ろし、掃除の仕方…。生徒たちは数日間泊まり込み、寮母から生活に必要な作法を一つ一つを優しく、時に厳しく指導を受けた。

 最初は一棟だった家庭寮も、生徒の増加で昭和十年に第二家庭寮を増築。家庭寮教育は戦争の影響で同十八年に中断されたが、同二十六年に再開し、現在の生活会館教育に受け継がれている。

 さらに「精神の教育を行うふさわしい環境を」と昭和十一年、修身堂を建設。人間として、女性としてのあり方、生き方を、富郎や時には老校長巌が直接生徒に説いた。

 また、昭和六年、「自分たちのことは自分たちの手で」と、西遠高女に生徒自治会が発足。人事、体育、園芸、衛生などの部があり、学校生活のすべてを生徒自身たちで話し合い、実行した。中村ふさゑ(89)=同、浜松市倉松町=は「口角泡を飛ばしながら、子どもなりに一生懸命でした」と振り返る。生徒自治会は年とともに組織が整備されて活動も充実。富郎の教育施策はここにも、大きな成果をあげた。

 ◇ ◇

 昭和十七年五月十八日、巌が倒れた。教育内容や施設の優れた学校を文部省の高官が直接訪れる「学事総合視察」先に東海地方で西遠高女が最初に選ばれ、来校予定日(十九日)のまさに前日だった。卒業生たちが次々と駆け付け、交代で懸命な看護を続けた。その祈りや努力もむなしく、約一カ月後の六月十六日、岡本巌は七十六歳の生涯を静かに閉じた。

私と西遠 五年(高二)星組 榛葉早友吏さん

 四月、私たち高校生徒会のデビュー戦、生徒総会が行われました。私たち執行部の思い、それは「みんなの毎日が楽しくなるように…」。こんな思いのもと、方針を立て、パワーポイントを作成。皆さんの温かい拍手と歓声が、とてもうれしく感じられました。百周年の時に生徒会長をやらせてもらえる幸せを感じつつ、毎日楽しく過ごしていきたいと思います。(文中敬称略)

 

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