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西遠女子学園100周年 忘るるなかれ若き日を

校史(1) 女子高等技芸学校開設と建学の精神

1906(明治39)年、浜松町平田の校舎で行われた女子高等技芸学校の開校式

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作法教育 今も脈々

 「婦人の中に未来の人は眠れり」

 西遠女子学園(浜松市佐藤三)の創立者岡本巌の建学の精神。その精神は今もなお、しなやかに、力強く、生き続けている。

 ◇ ◇

 一九〇六(明治三十九)年、浜松町の平田(なめだ)。木造の二階建ての民家を改造した一棟だけの校舎で、西遠女子学園は「女子高等技芸学校」として産声を上げた。わずか八人の先生と二十五人の生徒の小さな技芸学校。女子教育の一粒の種が、静かに芽吹いた瞬間だった。

 「女性は単に家庭を守るだけでなく、次代を担う子どもたちを育てる重大な使命と責任がある」。女子教育などまだ不要と考えられていた時代。創立者岡本巌は、女性の教養を高め、子どもの教育を真剣に考える賢い母親を育てる必要がある、との強い信念があった。

 この巌の意志を受け、妻の欽(一八七七−一九二九)は技芸学校で教える資格と技術を得るために、東京の和洋女子専門学校(現在の和洋女子大学)へ入学。卒業後の欽が初代校長となり、女子高等技芸学校は開校した。授業の大部分は裁縫の実習。本科三年、速成科一年、高等科一年、専攻科五−十カ月で、高等小学校を卒業すると本科、速成科に入学し、その修了後に高等科や専攻科に入学した。高等科や専攻科の生徒は、専門店から注文のあった高級な仕立物を縫い上げるほどの腕前だったという。

 巌夫妻が特に力を入れていたのは、家庭的な寄宿舎教育。家の遠い生徒を泊めて、生活の中ではしの上げ下げ、お辞儀の仕方、家の掃除、履物の脱ぎ方まで、日常生活の作法全体を教えた。この寄宿舎教育はその後も受け継がれ、現在も「生活会館教育」として続いている。

 

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