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三ケ日高校80周年 みかんの里を育てて

学校の歩み “切り札”柑橘科が誕生

実習でミカンの消毒に取り組む柑橘科生徒=三ケ日町で

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 「特色ある学校をという思いで、柑橘(かんきつ)科はまさにその切り札だった」。一九五〇年から六五年まで三ケ日高教諭を務めた小野勝己(73)=浜松市半田山四=は、柑橘科設立当時の経緯をこう語る。

 順風満帆の農業も六〇年代以降、日本産業の構造変革から中心は商工業へと移り、かげりが見え始めた。後継者にとって新たな換金作物開発が課題だった。そこで脚光を浴びたのが柑橘類。五〇年代から六〇年代にかけては「柑橘大増殖時代」と言われる。五〇年代に柑橘畑は全国で三万九千ヘクタール。それが六〇年代には十一万五千ヘクタールと三倍近くに急増、県内も同様の傾向をたどった。

 そんな背景から当時農場長だった小野は「柑橘科は時代、地域の要請」と当時の石原茂登男町長(故人)らと何度も県庁へ足を運び、柑橘科設置を訴えた。

 三年越しの陳情が認められ六三年、同校農業科は柑橘科へと“変身”。同町や湖西市、細江町などから定員五十人を上回る生徒が柑橘科に入り、教室は生徒で埋まった。学校にはミカン貯蔵庫や温室が設けられた。

 その後全国的にミカン栽培が普及したが、七〇年代後半になるとそれも衰退。同校柑橘科は七二年三月、地元に惜しまれながら廃止された。小野は「新しい時代の農業を支えていく意味から、柑橘科を残しておいてもよかったかもしれない」と残念がる。

(文中敬称略)

 

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