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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第3部 人脈編 教育界 生徒と同じ目線で

「楽しい教員生活が送れた」と語る上野文夫さん=天竜市二俣町の自宅で

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 実業界に進んだ興誠卒業生が多い中で、教育の世界に身を置いたOBも少なくない。主な卒業生では、浜松市内の中学校で長年、陸上を指導した元県陸協理事の青島五郎八(71)=高3卒=、元引佐南部中校長の山本了司(70)=高5卒=、元新居高保健体育教諭の山崎睦雄(66)=高8卒。大学では東海大教授(海洋学)で元海洋科学博物館長の鈴木克美(69)=高4卒=、元大阪大教授(言語文化学)の斉藤俊雄(70)=高4卒=がいる。

 元浜松江之島高校長の上野文夫(74)=興15卒、天竜市二俣町=もその一人。「研究者を志していたが、代用教員をしたのがきっかけで教育者になろうと決めた。生徒と教師の歯車がピッタリとあった教師生活だった」と振り返る。

 戦時下の一九四二(昭和十七)年に入学。食糧や物資不足から「欲しがりません勝つまでは」の言葉が生まれたように、満足な授業が受けられず、学校では体力づくりが最優先された。そんな中、上野は“一日一回本を読む”を自ら義務付け、図書館に通い、教師から本を借りてはむさぼり読んだ。

 「勤労動員先でも、何かしらの本を読んだ。理数系が好きで、ノートの代わりに、神棚のお札の裏などに数式を書いて覚えました」。戦後、級友に呼び掛けていち早く英語部もつくった。

 興誠を卒業後、代用教員として小学校で理科やローマ字を教えたことが、人生を変えた。教師に食らいついてくるような、子どもたちのひたむきさと、目の輝き。「この子たちの個性をもっと伸ばしてやりたい」と翌年、岡崎高等師範学校(現名大教育学部)に入学。卒業後は浜名高を振り出しに、二俣高や磐田南高で化学と英語を教えた。

 九〇年に退職するまで一貫して「生徒の特性・力を引き出し、伸ばす」「人として心の温かさを持ち、他人の痛みの分かる人間の育成」を実践してきた上野。「教師は高いところにいてはだめ。生徒と同じ目線になってほしい。生徒には目的意識を持ってほしい」と語る。

 金谷高校教頭の松本茂(52)=高22卒、浜松市子安町=も現代の高校生に「男女とも時代に流されている。思い切って何かにチャレンジすることも大事」と奮起を促す。

興誠を語る 1年 倉橋 和也さん

 興誠高校陸上部として、昨年県内で開催された「NEW!!わかふじ国体」の補助スタッフを経験。印象に残ったことはたくさんありますが、中でも決勝戦で選手が緊張している様子は胸に感じるものがありました。国体を生で見ることができ、とても良かった。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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