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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第3部 人脈編 転身 教師から和菓子の道へ

中学校教諭から転身、和菓子職人として腕を振るう大岩博之さん=引佐町で

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 紅屋製菓(引佐町井伊谷)の「みそまん」は何週間も前に予約を入れないと買えない。食感は柔らかく、皮もあんも甘さ抑えめ。特に紅屋は皮のプルプル感が特徴で、製造工程は門外不出となっている。その店主の大岩博之(63)=高10卒=は、社会科の中学校教諭から転身し、和菓子職人となった。

 大岩は興誠中学から興誠高校に進学した。「中学、高校と卓球部に所属していたが強くなかった。それよりも、友だちと自転車で走り回るほうがおもしろく。ただの悪ガキでした」と笑う。

 高校卒業後は、愛知県の大学に進学。卒業と同時に浜松市の中学校教員試験に合格し、社会科教諭となった。「本当は魚屋などの威勢のいい商売にあこがれていたが、親や親せきから『安定した職業を』と諭され、泣く泣く公務員になる決意をした」という。

 それから二十三年間、浜松市やその周辺の中学校で生徒を教えたが、大岩が四十五歳のとき転機が訪れた。養父が体力的に商売するのが難しい状況となった。「老舗ののれんを下ろすことはできない」と悩んだ末、それまで口にすることすら無かった和菓子の世界へ飛び込んだ。

 大岩は「不安だったが、家族の将来を考えての選択だった。今思うと決して悪い選択ではなかった。教師も和菓子職人も人のために汗水をたらすことでは一緒」という。

 大岩の一級上で中部中や東部中の校長を務めた原行男(64)=高9卒、浜松市大島町=は「教員組合の中で将来の教育を話し合った。まじめで皆のリーダーシップをとり、将来は校長になる存在だった。教員を辞める話を聞いたときは非常に残念だったが、半面、どこでも成功する人物だとは思っていた」と話す。

 それから十九年間。紅屋の味を守りながら、店も拡大。遠方からわざわざ買いに来るお客もいる。「通信販売や地方発送をしていないのは、安全を第一に考えてのこと。紅屋の味を手から手に伝える姿はこれからも変わりません」と話す。

興誠を語る 1年 今井 智章さん

 吹奏楽部は三十人で毎日元気に活動しています。昨年七月には学校創立七十周年記念コンサートを催し、大成功で終わりました。夏の大会では残念な結果となりましたが、その悔しさをバネに一月十七日のアンサンブルコンテストに向け日々努力しています。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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