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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第3部 人脈編 勤労動員 空腹をこらえ仕事に精

今も地元商業界のリーダーとして活躍する御園井宏昌さん=浜松市内で

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 地元商工業はもとより、政治や行政、文化、スポーツ界など幅広い分野に数多くの人材を輩出してきた興誠。特に商業では学校創立から「実務家の育成」を掲げてきただけに、遠州地方の実業界に根を張る卒業生は多い。

 浜松市の自転車店の草分けとして知られる有楽街の「御薗井商会・ミソノイサイクル」四代目社長・御園井宏昌(74)=興13卒=もその一人。御園井は個人商店が大半だった自転車販売を株式会社化、戦後早くからバイクの販売・修理も手掛け、“ポンポンの街”浜松を陰で支えてきた。

 御園井が興誠に入学したのは一九四一(昭和十六)年。満州事変に始まった戦火が、真珠湾奇襲攻撃で太平洋戦争へと拡大した年だった。学校では英語の授業が禁止になり、代わって心身鍛錬の一つとして豊橋往復(一年)、浜名湖一周(二年)、法多山往復(三年)の行軍となった。四年生になると、名古屋市の大同製鋼へ勤労動員された。

 「興誠の思い出は苦しいことばかり。勤労動員では自分より、空襲下で家に残す家族が心配だった。戦況の悪化にともない、食べるものも粗末になった。育ち盛りの生徒には空腹をこらえての仕事で、本当につらかった」と振り返る。

 御園井の同級生だった中村藤吉(75)=浜松市植松町=も当時を語る。「初めは宿舎が作業場の近くにあったが、空襲を避けて遠く離れた常滑に移り、電車に揺られながら片道一時間半の道のりを通った。ある日いつも通り作業場に向かったところ、前夜の空襲で工場が壊滅状態になっていてびっくりした」。勤労動員は一年五カ月に及んだ。

 御園井は現在、県商店会連盟連合会長や県商店街振興組合連合会長などを兼ね、昨年七月には産業開発振興で市勢功労者に選ばれた。「近くの百貨店が姿を消し、一時は有楽街も人通りが寂しくなったが、最近やっとにぎわいを取り戻した。健全で健康な新しいショッピング街を目指したい」と、街の未来への夢は尽きない。長男智三郎(43)=高31卒=は興誠自転車競技部の創部メンバー、孫の成好(19)=高55卒=も同部で活躍と、親子三代続く興誠一家でもある。

興誠を語る 1年 服部 勇介さん

 高校に入って一番印象に残っている行事は演劇教室だ。今まで数多くの行事を体験してきたが、本格的なミュージカルを鑑賞したのは初めてだった。演劇に対する考えを、いい色に塗り替えた演劇鑑賞は、僕の人生をも変えてしまいそうだ。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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