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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第2部 部活動編 写真部 県西部コンクール5連覇

写真部創部当時のメンバー

写真

 県高校写真コンクールや県西部高校写真連盟コンクールで毎年上位に名を連ねる写真部。発足は一九七六(昭和五十一)年と文化部の中では比較的新しいが、同好会としては六〇年代から活動していたといわれる。

 強さの秘密は整った環境にある。本格的な暗室と指導者に恵まれ、印画紙などの消耗品も学校が全面バックアップ。OBにプロカメラマンも多いことから撮影技術も伝授される。しかし、創部当初は何もかもが手探りの状態。暗室も部長に就任したばかりだった二年生の登沢太一(43)=高30卒、浜松市名塚町=がさまざまな資料を調べながら設計した。

 登沢は「入学時は同好会。物理室を間借りして細々と活動していた。活動費が少なく、印画紙も無駄にはできず、一作品二枚までの制限があり、失敗するとその場で腕立て伏せの罰がありました。部への昇格は、二年生になった時に田村高明先生(現顧問、社会科教諭)が着任され、写真への情熱を話したところ『分かった』の二つ返事で、二人で校長先生のところへ掛け合ってくれた」と話す。

 こうして七六年五月に晴れて写真部が発足。宿直室を改装し、引き伸ばし機二台を備えた県内の高校では類を見ない設備の整った暗室が夏すぎに完成した。部員は学校に感謝するため賞とりに励み、秋には登沢らの作品が西部高校写真連盟のコンクールで総合三位に輝いた。

 この後、写真部は県内各コンクールで上位を占めるようになった。圧巻だったのは八九年から県西部高校写真連盟コンクールでの団体五連覇。他校を寄せ付けない圧倒的な強さを誇った。

 五連覇時の部長だった沢島宏明(27)=高46卒、浜松市富塚町=は「指導者と環境に恵まれていた。遠足の時など、業者からフィルムを渡され、撮って来てほしいとも頼まれた。後輩には常に“撮らされる”のではなく“楽しく撮る”を心掛けてほしい」と話す。

興誠を語る 2年 宮川 展夫さん

 写真部に入部し、高写連撮影会や部活独自の撮影会を通して、写真を撮るおもしろさ、人々と触れあう楽しさを学びました。これからも顧問の先生や先輩たちから教わった技術を後輩たちに指導することにより、自分も新たな発見をし、技術を向上させたい。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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