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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第2部 部活動編 珠算部 50年代に黄金期 復活願う声も

関西学生珠算競技大会に優勝した珠算部。前列の左から3人目は和田清さん、同右端は尾崎雅彦さん

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 学校創立時「実社会に通用する知・徳・体を兼ね備えた商業実務家の育成−」を掲げた興誠。必然的に珠算教育に心血が注がれ、授業のほかクラブ活動でも“日本一”を目指した取り組みが繰り広げられた。

 まず、廿日出校長は人材確保に取り組んだ。当時、浜松には加茂珠算塾と尾崎速算学会があった。加茂は俊才の育成が目的で、既にそろばん有名校だった浜松商業の生徒が多く通っていた。一方の尾崎は、そろばんの普及が目的。そのため、塾生には小学生が多く、これから人材育成に力を入れようとしていた。

 そこで廿日出校長は、尾崎速算学会と手を組み、「そろばんの赤佐」と呼ばれていた浜名郡赤佐村(現・浜北市赤佐)の赤佐小学校に出向き、将来性のある児童五人を授業料免除の特待生としてスカウト。卒業を待って興誠商業二年生に編入させるとともに、尾崎速算学会に下宿させ、珠算の練習をさせた。

 特待生の一人だった前興誠学園理事長の和田清(82)=興7卒、浜松市住吉=は「朝一時間、クラブ二時間、帰宅後一時間と、時間があればそろばんを弾いていた。そのかいあって、一年後には県二位、翌年には宿敵の浜商を下して団体優勝しました。全国制覇を目指した最終学年では、あと一歩のところで敗れ二位、しかし個人では念願の日本一になりました」と振り返る。

 卒業後、和田は教員資格を取得。廿日出校長の誘いで興誠商業の珠算教師として母校に戻り、一九五〇年代は全国の珠算大会で上位を独占、珠算部の黄金時代を築いた。

 尾崎速算学会の塾長の三男で同年代前半の中心選手だった尾崎雅彦(70)=高4卒、磐田市中泉=は「和田先生の指導は厳しく、わんわん吠(ほ)えていたので、付いたあだ名は『ワンチャー』でした。練習は、和田先生が作ってくれたガリ版の問題集を何回も繰り返してやりました」と話す。

 商業科は一九九八(平成十)年に普通科に変わり、珠算部も姿を消した。和田は「珠算は右脳の働きを促し、何にでも役立つ。可能ならばもう一度、母校に復活してほしい」と願う。

興誠を語る 3年 安間 晶平さん

 三年間、囲碁部で活動をしてきました。最後の大会で県ベスト16に入り、初段の認定状を授かったのが一番の思い出です。また囲碁を通して学んだ礼儀作法、良き仲間や先輩、後輩と出会えたことが一番の財産だといえます。これからも機会を見つけ囲碁を通して自分自身を磨きたい。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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