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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第2部 部活動編 野球部 念願の甲子園出場果たす

創部57年目にして甲子園初出場を果たした興誠ナイン=2002年8月

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 この連載が始まってまもない十月十五日、元興誠高校教諭の白井武司が亡くなった。享年八十五歳。白井は同校の校歌作詞者として知られているが、生徒のために野球部の礎を築いた人でもあった。

 “闘志なき者はグラウンドを去れ”をモットーとする野球部。創部は敗戦の影響が色濃く残る一九四六(昭和二十一)年。沈みがちな生徒の気持ちを思った白井が「元気づけさせよう」と廿日出校長に野球部創設の話をもちかけた。学校側は「部費など金銭面の援助はできない」と快諾しなかったが、白井の「後援会をつくり、責任を持つ」という言葉で発足が決まった。

 しかし、野球用品が高価な時代。折れたバットはビニールテープで補強し、ボールも部員が持ち帰って補修。ベースにいたっては、剣道具の垂れを四角に切り、縫い合わせて使用した。

 野球部OB会長の中野有二郎(63)=高10卒、引佐町井伊谷=は「先輩らはグラウンドづくりにも苦労したようだ。われわれの時代は長嶋選手が大学で活躍し、にわか野球ブームに沸いていた。甲子園を目指して練習に明け暮れたが、浜商や掛川西などの厚い壁に閉ざされていた」と振り返る。

 「思うような練習ができなかったことも甲子園を遠ざけていた」とOB会副会長の小林正気(59)=高14卒、浜松市三組町。グラウンドは他の運動部も使用するために割り当て制。仕方なく市営グラウンドを借りたが、それも毎日ではなかった。「必然的に階段の上り下りや、走り込みの練習が多くなった。練習中には水を飲んではだめと言われていた時代。苦しい思い出ばかり」という。

 昨年、念願の甲子園に初出場、初勝利を飾った同校。白井は記念誌の中で「校歌がテレビから流れたときは、八十四歳まで生きてこられた喜びを感じた。興誠野球部をもり立てた過去から現在に至る一人ひとりに『ありがとうございます』とお礼を申し上げたい」とつづっている。

興誠を語る 2年 村木 彩乃さん

 野球部は甲子園に行った時とは違い、現在二年生十一人、一年生十一人、女子マネジャー三人と少人数です。チーム力も落ちてしまいましたが、団結力はあり、主将を中心に目標に向かって日々努力しています。勝つことだけでなく、人間性や精神面も鍛え、夏を目指し全力投球で頑張っています。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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