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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第2部 部活動編 バスケットボール部 上達のためどん欲に練習

「打倒浜商」を掲げていた1950年代後半のバスケットボール部

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 インターハイや全国高校選抜(ウインターカップ)に、合わせて二十回以上の出場経験を持つ男子バスケットボール部。OBの中にはJBLスーパーリーグで昨年の最優秀選手に輝いた後藤正規(33)=高41卒=や、永田道夫(26)=高48卒=、元全日本主将で今年の秋季国体成年男子準優勝の立役者となった辻村浩(38)=高36卒=らがいる。

 創部は前身の遠商時代。興誠になってからは、創立時や戦時中に一時休部となったが、戦後いち早く再開。浜松商や浜松北、浜松西高とともに遠州地方のバスケット人気を高めた。

 現バスケットボール部後援会長の杉浦弘章(62)=高12卒、浜松市北寺島町=は「当時は浜商が断トツに強く、残り三校で二位を争っていた。指導者がいなくて、自分たちで練習方法を考えた。部員は上達のためにはどん欲で、夏休みには関東地区の大学生に来てもらって、体育館で大学レベルの技術を教わったりもした」と振り返る。

 六七年に日体大で活躍していた現教頭の石川友康(60)=高14卒、浜松市和合町=が体育教諭として赴任すると、部は一変した。大学仕込みの「走るバスケ」をチームカラーに、部員たちは連日、高度なフォーメーションをたたき込まれた。

 県クラブバスケット連盟副理事長の種子研次(47)=高27卒、浜松市米津町=は「時には鉄拳が飛んでくるほど厳しかったが、その指導は理にかなっていた。練習は声を出すことから始まり、反復練習が主だった。『リバウンドを取ったら走れ』とよく言われた」と話す。

 石川の教えはすぐには実を結ばなかったが、八〇年代に入るとインターハイや全国選抜に度々出場、強豪校として全国に名が知られるようになった。

 石川は「母校を全国大会に出場させることが夢だった。そのため練習も厳しかったと思う。今は女子の監督を務めているが、男女で全国に出場した学校はないので、ぜひ成し遂げたい」と新たな目標を掲げている。

興誠を語る 3年 山内 裕彬さん

 バスケットボール部のマネジャーをしています。今年の高校総体の県予選は三位という結果に終わり、残念ながら全国出場は果たせませんでした。冬の選抜大会が三年生にとって最後の大会です。高校総体の悔しさをバネに優勝目指して頑張っています。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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