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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第1部 校史編 男女共学 新校舎に女性受け入れ

 「女子が小人数なので不安もありますが、新しい歴史をつくるんだという意気込みに燃えています」−。一九九五年四月十日、入学式。県西部唯一の男子高校だった興誠で、この日初めて女子生徒として菅谷(旧姓青嶋)里枝(24)=浜松市河輪町、高50卒=の誓いの言葉が体育館に響き渡った。

 新一年生五百八十三人中、女子は三十五人。菅谷は「“初めての女子生徒”という意識はなかったが、先生はどう扱っていいのか悩んでいたようで、優しかった。校内は新校舎と旧校舎があり、旧校舎はさすがに男子校という面影を残して汚なかった。昼食時に売店に押し寄せる男子上級生が怖くてパンがなかなか買えなかった」と思い出す。

 男女共学は、九三年八月の興誠学園理事会で決定された。校長だった柿沢光紀は共学に踏み切った理由を当時「男女共学を好む中学生が多くなった。男女平等が教育の本質という認識も高まりつつある」と話した。

 学校側も共学化に伴い、総工費約三億五千万円をかけて新校舎(延べ千四百五十五平方メートル)を建設。既存校舎もトイレや更衣室を改装したほか、制服も「より自由」をテーマに、約九十点の中からファッションショーを開いて決定した。

 菅谷と同級生の浜松市松城町の太田麻理(23)=高50卒=は「制服は無地とチェックの二種類があり、その日の気分でどちらにしてもよかった。友達の間でも“かわいい”と評判でした。学校生活では女子の運動クラブがなく、一期生の女子生徒はほとんどがマネジャーをしていました。私もバスケットボール部のマネジャーでした」と語る。

 男女共学になると先輩と後輩、同級生同士のロマンスも数多く生まれた。菅谷も同級生同士で今年四月に結婚した。相手は野球部で活躍していた菅谷友洋(24)=高50卒。菅谷里枝は「家が近いこともあって二人で自転車通学でした。興誠が私たちを巡り合わせ、結んでくれた」という。

 いち早く私立で男女共学を受け入れた興誠高校。今、同校生徒の男女比はほぼ七対三になり、毎年、さまざまな分野へ女子卒業生を送り出している。

興誠を語る 3年 法山 桂子さん

 念願の野球部マネジャーとなり、すべて日々充実。二年の夏、夢にまで見た初の甲子園。泥まみれになっても皆、輝いていた。最後の夏、二度目とはいかなかったが、興誠に入学し本当に良かった。最高の思い出と最高の仲間ができたから。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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