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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第1部 校史編 白山黎明寮 イメージ一新の進学教育

進学教育のため建設された白山黎明寮

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 教育理念の知・徳・体は、言い換えれば「文武両道」。一九七〇年から八〇年代にかけての興誠は、それを象徴するかのように国体やインターハイなどで運動部が活躍する一方、国公立や私立大学に多くの生徒が進学するようになった。

 自動車や電気機器を中心とした工業が栄え、コンピューターなど先端技術を中心とした産業が芽吹こうとしていた。そんな中、興誠では八一年に普通科に全寮制の文理科特進コース。八二年には、浜松市内にサッカー場を兼ね備えた陸上グラウンドを設置し、文武両道のハード面を整備した。

 特に特進では、八二年十月に寄宿舎「白山黎明(れいめい)寮」が完成し、それまでの興誠のイメージが一新され、進学教育がスタートした。

 同寮二期生だった浜松市佐藤の後藤良一(37)=高37卒=は「押し付けの勉強ではなく、個人を尊重した授業方針で伸び伸びとした高校生活だった。寮内ではお互いが刺激しあい、いい意味で争っていた。クラブ活動はできなかったが寮の三年間は有意義で人生にプラスになった」と思い出す。

 寮は約八畳で一部屋二人。机とタンス、二段ベッドがあり、間仕切りはなかった。生活は午前六時五十分起床、同七時五十分登校。七時間授業を終えて帰宅した後は、午後六時四十分から二時間の夜間講座があり、入浴や掃除後の同十一時消灯。それからは各自の自習が始まった。

 寮監だった福田町中島の寺田政己(43)=高31卒=は「午後五時五十分の門限で、自宅への帰宅は月一回。朝・夜型の生徒の同居、食事の好き嫌い、門限破りなどがあったが、生徒は進学という目標のためよく頑張った」と話す。

 しかし、時代とともに寮で生活する生徒は減少。二〇〇〇年度に最後の卒業生を送り出してからは通学制だけの特進コースになった。寮は現在もあり、運動部の合宿などに利用されている。

興誠を語る 3年 竹上 泰基さん

 小高い丘の上に立つ母校。毎日自転車をこいで、息を切らせて飛び込む教室。二年と少しの期間、最も興誠らしさを感じる瞬間。通い慣れた道に愛車を走らせる姿はいかにも学生のそれ。自分はそんな姿がとても好きだった。丘の上から今日も静かに僕を待っている。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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