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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第1部 校史編 誠徳殿 モダン建築の中で心磨く

興誠を象徴する建物だった誠徳殿。戦後、運動部の壮行会もこの前で行われた

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 創立まもない時期から一九七〇年代初めまで、正門をくぐって真っ正面に、お堂の屋根に塔を乗せたモダンな建築物があった。「誠徳殿」と呼ばれたその建物は、詳しい資料は残っていないが三九年十月の建築。敷地百九十四平方メートルで内部は畳敷き。完成当時は修養道場として使われ、戦後は会議室や図書館、吹奏楽部練習室などとして利用された。

 「あまり記憶がないが、廿日出校長の修身(道徳)の授業に使われた」と話す浜松市佐藤の橋本英夫(71)=高3卒。「正座で話を聞き、授業後は足がしびれて動けなかった。そういえば、戦時中に、運動場で朝礼をしていた際、米軍機の機銃掃射に遭い、急いで誠徳殿の裏に隠れた。私の命があるのは誠徳殿のおかげかもしれない」

 同窓会事務局の菊池豊治(70)=高4卒、浜松市西町=も「誠の心のシンボル。心を磨く場所だった。修身の授業では『名誉や地位をいたずらに求めてはいけない。自分自身を磨けば、おのずと後から備わるもの。人のために、社会のために役立つ人になれ』と教えられた。当時は授業以外に入ることは許されず、神聖な場所でした」と語る。

 五〇年代後半に入ると、図書館として生徒に開放された。浜松市大島町の原行男(64)=高9卒=は「板張りの床で、書箱にはたくさんの蔵書が並んでいた。よく読んだ本は宮沢賢治や小泉八雲。放課後には二十冊ぐらいを風呂敷に包んで帰り、嫌なことを忘れ本の中の空想の世界を楽しんでいました。ちょうど石原慎太郎の『太陽の季節』もこのころ出版され、ブルジョワの世界を垣間見て衝撃を受けました」と話す。

 誠徳殿はその後、吹奏楽部室となったが、野球部の打球が屋根瓦に当たるなどして老朽化が激しくなり、七一年三月に解体された。

興誠を語る 3年 石井 洋行さん

 興誠の修学旅行はパリ・ロンドンでの海外研修。未熟ながらも精いっぱいの英語とジェスチャーで気持ちを伝える。友人のプレゼントを買うのも四苦八苦。伝わったときは内心ほっとしたのか、少し泣き笑い顔だった。そういえば、隣のやつも…。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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