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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第1部 校史編 学校をよくする会 封建的教師追放求める

ストライキ後、学校の勧めで創部した篭球部(バスケットボール部)。前列中央でボールを持っているのが山下靖夫さん

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 戦火を免れた興誠中学。戦後、六・三・三制、財団法人から学校法人への組織変更−と、さまざまな学制改革の波が押し寄せた。一九四七(昭和二十二)年には封建的教師の排除を求めて生徒がストライキを起こし、校内は騒然となった。

 この年の三学期。旧制四年生を中心とした生徒十数人が、不当に暴力をふるう教師や封建的思想の教師の追放などを求め「学校をよくする会」を設立した。一週間後、登校する全生徒を講堂に集めて「実力行使」の挙に出た。

 当時三年生で中心生徒の一人だった、浜松市城北の山下靖夫(74)=高1卒=が語る。

 「当時は、戦前からの軍国主義を引きずる教師と、戦後、東京からやって来た英文や国文といった学者肌の教師がいた。音楽は木下忠司さん(作曲家、木下恵介映画監督の実弟)が担当し、軍歌一辺倒の授業からクラシックの音楽鑑賞に変わり、若者の興味をそそる映画の製作現場の話もありました。生徒にとってみれば、こうした教師の授業は新鮮で面白みがあり、次第に“教師とはこうあるべき”との感情が芽生えたのです」

 「講堂では教師二人をつるし上げました。ところがそのうち一人がその場で辞任したため、生徒はびっくり。生活を奪ったという責任を感じ、急速に熱が冷めました。若気の至り、ほろ苦い思い出です」

 ストはその後、生徒を含め、保護者や学校側と連日話し合いが行われて収束。山下は退学も覚悟したが「そんなに元気があるのなら」と学校側の勧めで篭球(ろうきゅう)部=バスケットボール部=を創部、あり余るエネルギーをスポーツに発散した。

 五〇年代に入ると、県教育長を務めた岡野徳右ヱ門が校長に就任。地域社会に結びついた人材育成を理念に「人間は平均点によって評価されるものではない。その努力によって評価する」との教育指針を打ち出し、かつ、それを徹底した。岡野は生徒たちに胸襟を開き、垣根を取り払うとともに、浜松短期大学の開学、同幼児教育科の設置と続く学園の発展にも尽力した。

興誠を語る 3年 相羽 きくみさん

 ソフトボール部主将の私。二年の夏がすぎたころ、三年生が引退し部員はわずかに四人。どうしよう。そんな思いの中でも、試合への夢は捨てきれず活動続行。今年は部員も十八人となり、公式試合では念願の一勝を味わうことができた。苦労の末の感動、いい思い出になった。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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