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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第1部 校史編 自尊・服従 負けじ魂 実践し クラブ活動

戦前から戦後にかけて生徒が持ち歩いた生徒携帯帳(生徒手帳)。表紙を開くと校訓「自尊・服従」の文字がある

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 柔道場を改装した学校工場で戦闘機に装備する補助燃料タンクの枠作りをしていた三年生の山崎篤光(72)=興16卒、同窓会長=は、八月十五日の玉音放送を校門裏で聞いた。

 風もなく、朝から強い日差しが降り注いだ夏の一日。山崎は「いよいよ本土決戦かと歯を食いしばって耳を凝らした。敗戦を聞き、長く苦しい戦争がついに終わったという安ど感。あこがれの少年航空兵を志願し、合格通知が届くのを持っていた“がっかり”感が交錯した」と振り返る。

 興誠商業の再出発は終戦からわずか二カ月後の十月。運よく、爆風で窓ガラスが数枚割れた程度の“無傷”の校舎が生徒たちを迎えた。「教科書は茶色のわら半紙にガリ版印刷の粗末なもの。英語の授業は初めて学校で習う科目で、もの珍しく、未知への勉強のスタートだった」と山崎。

 翌十一月に興誠中学と改称。市内では駅前に闇市、焼け跡にはバラックが立ち並んだ。生徒は興誠魂、負けじ魂とも言われる校訓「自尊 服従」(自尊心を重んじ、その言動に対し自己を屈して服従する)を実践すべく、クラブ活動に打ち込み、あり余るエネルギーは他校とのけんかに姿を変えた。

 山崎は「けんかといっても一種のスポーツ。形勢不利になると終了した。各学校には番長がいて、校名を背負っての戦いだった。ここでも“興誠魂”は生かされ、負けることは許されなかった。しかし、対戦が終われば互いにたたえ合い、友情さえ生まれた。自分が市議に立候補(六三年)するときには、当時の各校の番長が顔をそろえ、応援してくれた」という。

 そんな騒然とした世情も落ち着きかけた四八年、六・三・三制の新学制がスタート。興誠中学も現在の興誠高等学校に名を変えた。

興誠を語る 3年 小笠原 裕太さん

 応援部副団長を任せられてからの日々。昨夏、夢にまで見た甲子園のスタンドに立ち、全力で白球に思いを通わせた時間。「高校生らしいさわやかな応援だった」とねぎらっていただいた言葉が今も心の支え。感動の夏、感謝の夏。その裏方として頑張れた自分に拍手。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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