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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第1部 校史編 防空ごう 校長と汗を流した校庭下

運動場下に掘られた防空ごう(手前でライトを持っているのは森恒次さん)

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 校主と校長の対立−生徒全員退学−寺子屋からの再出発−と、慌ただしい開校の道のりをたどった興誠商業は、一九三四(昭和九)年三月、普済寺の仮校舎から現在地に新築された木造二階建ての校舎に移転した。

 廿日出校長は“誠の精神”を「汗は誠の結晶」として、自ら率先して校庭の整備などに取り組み、生徒や教職員、保護者らもこれに倣い、一丸となって建学の士気を高めていった。

 創立五周年を迎えるころには生徒は八百人を数え、校友会(クラブ)活動も活発化。柔道の全国制覇をはじめ、陸上、剣道、珠算、体操、弁論などが県大会、中部近県大会などで優勝するようになった。しかし、戦争の足音が日増しに大きくなり、同校も国策教育体制に移行。四四年には戦時非常措置令を受け、校名も「興誠航空工業学校」と変更、軍需教育一色に染まった。

 生徒も一年生と数人の二年生を残して勤労動員され、校内では残った生徒が運動場下に防空ごうを掘った。一年生の指導役としてごうを掘った浜松市富塚町の森恒次(高1卒)は「防空ごうといっても校庭の東側と校舎を結ぶ長いトンネルで、完成までに一年弱かかった」という。

 直径約二メートル、長さ約百メートルに及んだというごう内には、校長室や「ご真影」(昭和天皇の写真)を安置する部屋も作られ、内部は細く削った竹で覆った。森は「廿日出校長の頭の中にある設計図を頼りに両方から掘り進み、向こう側のスコップの音が聞こえた時はうれしかった。『校長室にいるより、皆とこうして汗を流しているのが好きだ』という校長先生の言葉が忘れられない」と当時を思い出す。

 幸い、同校は防空ごうを利用するような爆撃を受けずに終戦を迎え、その二カ月後には授業が再開された。

興誠を語る 3年 渡辺 翔太さん

 生徒が明確な目標を持つことができるような教育環境の整備を望みたい。例えば、補習日の増加、常に利用できる自習室の確保、教室内の資料展示、多くの職場体験などです。生徒が今何を求めているか、それに耳を傾けられる学校であってほしい。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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