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興誠高校(現浜松学院高校)70周年 誠の精神

第1部 校史編 人とのつながり 『真に生きた人間』へ熱意

廿日出厖氏の胸像。正門横にあり、今も生徒を見つめる

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 生徒とともに、生徒のために、而(しか)して生徒の全生命伸長のために−。一九三三(昭和八)年十一月、興誠高校創立者の廿日出厖=はつかで・ひろし=は、文部大臣から財団法人・興誠商業学校の設立指定を受けて意を強くした。

 廿日出は一九〇一(明治三十四)年、広島県豊町大長のミカン農家の五男に生まれた。長崎高商、東北大法文学部宗教哲学科を出て、二九年、政界への夢を抱いて内務大臣・望月圭介の秘書となった。

 望月のもとでの三年間が、その後の廿日出の人生に大きな影響を与えることになった。それまで縁のなかった浜松の商業学校の校長就任も、当時の校主から推薦依頼を受けた望月に推挙されてのことだ。

 三二年、遠商の校長となった廿日出は、国政の表裏をつぶさに見てきた経験から得た「本当に生きた人間が乏しい」という思いを、教育の場にぶつけた。(1)道徳的活動的人物(2)自覚を有する日本人(3)町人根性の商人でななく国士的商人−の育成の理念を掲げ、中でも、知識人の育成より、魂のしっかりした実行力ある人づくりを目指し、身体的訓練を多く取り入れた。

 年一回、全員参加による遠距離遠足もその一つだった。磐田市国府台、税理士鈴木武夫(84)=興4卒=は「学校から法多山や奥山の方広寺に遠足に行った。また、豊橋の歩兵連隊への宿泊訓練もあった。何をするにも体が資本との考えだったのでしょう。おかげで今でも足腰は丈夫」と笑う。

 「真に生きた人間」の育成には私費も投じた。成績優秀者五人に対して授業料の全額免除の特典を与えることで、生徒のやる気を促し、商業家として実社会に通用する人材を育て上げていった。

興誠を語る 3年 古田 智啓さん

  興誠で学んだもの、それは人とのつながりの大切さ。今自信を持ってそう答えられる自分がいる。あらゆる点で異なる視野を持つ、多くの友人との出会い。学び得たことの多さ。尊敬できる恩師の存在。そのすべてが、まぎれもない心の糧となる三年間であったと断言できる。

(卒業生の氏名に続く(興)は興誠商業学校、(高)は興誠高校(数字は卒業回数)、文中敬称略)

 

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