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気賀高校90周年 ひろ丘に輝く

OB編(7) 元遠信常務理事 小野田幹男さん

45年間 金融の仕事一筋

気賀高卒業後、金融マン一筋で頑張った小野田さん=細江町中川の自宅で

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 引佐町の農家の七人兄弟の二男として生まれた小野田幹男(67)=細江町中川=は、母親から「これからの時代、高校は出ておかないと」と言われ、一九五二年四月気賀高へ入学した。

 卒業後、遠州信用金庫常務理事まで務めた仕事人間の小野田だが「生徒数も増え新校舎建設も始まり活気があった」と高校当時を懐かしそうに話す。

 一九一四年以来、気賀小で“間借り生活”をしてきた気賀高も五二年から細江町広岡に新校舎建設が始まり、五四年に完成。小野田が三年の時、新校舎へ引っ越した。「あの時はみんなで机やいすを運んだ。立つ鳥跡を濁すなと呼びかけた」ことを覚えている。

 高校時代は戦後の混乱も落ち着き、学校生活も徐々に充実を見せ始めてきた。二、三年の時、体操部だった小野田は「まだ気賀小校舎だったので校舎中庭に鉄棒を立て、マットを敷いて練習した」という。先輩の太田康雄=神奈川県藤沢市=、名倉直枝=細江町=や同級生の藤野保二=大阪市=、鳥居護=浜松市=とはいい練習仲間だった。

 小野田が卒業した年は鍋底景気で就職もままならなかった。幸い知人の紹介で浜松市内の織物会社へ就職した。「自分の仕事ではない」と四カ月で辞め、引佐信用金庫へ勤めることにした。

 引佐信金は七一年、浜名信金と合併し今の遠信となった。頑張り屋の小野田は仕事に没頭し九三年に常勤理事、九六年には常務理事を務め二〇〇一年に退任した。「金融の仕事一筋の四十五年間でした。これからの人生は社会のために頑張りたい」と語る。今は退任後に始めた水彩画制作に日々いそしむ。

(文中敬称略)

 

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