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気賀高校90周年 ひろ丘に輝く

OB編(1) 内山チヅ子さん

苦手克服し教師の道に

 終戦間際の気賀高女に入学し気賀高女併設中学から一九五一年三月、気賀高の前身の引佐高普通部を卒業したのが、内山チヅ子(72)=引佐町奥山。今は同町社会福祉協議会長として地域に密着した福祉社会の実現にまい進する。

 太平洋戦争末の四五年四月、内山は気賀高女の入学式当日、空襲警報で細江町内の落合橋へ逃げ込んだことを今も覚えている。一緒に逃げ込んだ永田和子=三ケ日町=とは今も交流が続く。

 当時、学校では上級生が豊川海軍工廠へ動員される一方、好きな読書も禁止の状態。「出征兵士の農家へ手伝いに行かされ間に合わず怒られたことも今はいい思い出」とつらい時代を振り返る。

 戦後間もない併設中時代では裁縫が苦手で苦労した。四八年四月引佐高普通部へ入学、男女共学の高校生活に。内山は「別に意識することもなく生徒同士の付き合いも自然。カップルが誕生すると応援したくらい」。

 高校時代はソフトボール部に入った。「当時は強くて投手の平石静子=千葉県柏市、捕手の井口敏子=三ケ日町=は最高のコンビ」と懐かしむ。卒業後、嫌いだった裁縫を好きになろうと千葉県の和洋女子大短大・被服科へ進んだ。短大卒業後、二十八年間三ケ日、細江中などで家庭科教諭を勤めた。

 退職のきっかけとなった母親の看護を機に福祉の世界に目覚め、引佐草の根授産所などでボランティア活動に参加。九四年から五年間引佐町ボランティア連絡協議会長を務め、九九年から町社協会長に。内山は人生を振り返り「今こそ女性が家庭を守ることの大切さを見直してほしい」と後輩に助言する。

(文中敬称略)

 

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