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気賀高校90周年 ひろ丘に輝く

歴史編(2)高校生活

自由と活気にあふれる

1950年当時の気賀高=細江町で

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 県気賀高女は戦後の学制改革で一九四八年、引佐農学校と合併し県立引佐高校となり、普通部と農業部に分かれて新たなスタートを切った。農業部と普通部という変則的な状況もあって五一年、両部は分離、普通部が現在の気賀高としての校史を刻むことになった。

 両部が分離した際、生徒らに「どちらへ進むか決めてほしい」と担任教師から言われたという。四六年引佐農学校へ進んだ石埜俊和(72)=引佐町金指=は迷わず気賀高を選んだ。

 農家の二男に生まれた石埜だが、「これからの時代は農業以外に生きる世界がある」と気賀高を選択。開校以来、気賀高は勉学に加え部活動も盛んで、生徒たちにとって自由と活気にあふれた学校だった。

 五二年三月に気賀高を卒業した石埜は気賀高で一番の思い出を「三年の時、当時はやっていたジャズ音楽に影響され同級生の鈴木盛司=兵庫県川辺郡=、船越雄一=細江町中川=と『パピィジョーズ』というバンドを組んで一年間ジャズを楽しんだことだ」という。

 高校ですっかり音楽の魅力にとりつかれた石埜は大学卒業後、中学校教諭となり引佐郡内の中学校で音楽を教えた。九二年、引佐町南部中の教頭を最後に三十八年の教員生活に終止符を打った。

 石埜同様、気賀高1回生の同級生の中にも池田弘子=浜松市根洗町=、足立龍夫=浜北市=、神谷弘司=細江町=、山田文代=同=ら多くが教員の道を進んだ。

 「伸び伸びした高校生活だった」と当時を振り返る石埜は、自分の体験から後輩たちに「何か一つでも打ち込むことを探し出し頑張ってほしい」と願う。

(文中敬称略)

 

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