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掛川西高100周年 天守の杜に

第3部 人物史編 経済人

のめり込むもの持て 友だちが財産に

インタビューに応じる赤岩覚・日本リーバ社長=東京都渋谷区の日本リーバ本社で

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 掛川西高から巣立った経済人には、ジャスコ会長の常盤敏時氏(昭33卒)、日本油脂相談役の岡本甲子男氏(昭17卒)ら、世界を舞台に活躍する人材も目立つ。その中の一人、日本リーバ社長の赤岩覚氏(昭33卒)=東京在住=に母校への思いや企業が求める人材像などをきいた。

 昭和三十年入学。読書と絵をかくことが好きで、絵画部に所属した。三十二年夏、野球部が山静大会決勝に進出。秋には掛西高が国体のレスリング会場になり、天皇皇后両陛下や世界に通じる実力派選手が次々と来校するなど、刺激の多い高校生活を送った。

 入学式でいきなり、肥田米作校長から「成績で比べれば静岡高の最下位が、掛西高の五十番だ」とはっぱをかけられたことを覚えている。しかし、友人とのつきあいや生徒会活動に忙しく、放課後も友人たちと話し込んだり、読書や絵をかいて過ごした。当時はテレビもなく、学校がすべてだった。しかし勉強するだけなら何も残らなかったと思う。三年間で出会った大切な友人や恩師たち。その偶然の縁を自分にとっての必然にしていきたいとは当時から強く感じていた。

 掛西高の後輩には、吸収力のある若い時に、部活動でも趣味でも、何かのめり込むものを持ってほしい。そして高校三年間でしか出会えない友だちを大切にしてほしい。

 朝鮮半島の平壌生まれ。二十一年に日本へ引き揚げてきた。このため小学校入学が一年遅れた。高校卒業後は慶応大経済学部へ進学。四十年に日本リーバに就職する。

 ちょうど就職難の時代。年齢制限もあってなかなか就職先が決まらない私に、友人から「ユニリーバという大きな会社が日本へ進出するから受けて見ろ」と言われて願書を出した。平壌で生まれたせいか、日本だ、外国だとこだわる気持ちはなかった。

 特に今は「外資系」と、資金に色をつける時代ではない。株主は外国にいても、日本の消費者を相手に、日本の市場で競争する企業には違いないからだ。逆に多国籍企業だからこそ、グループの会社同士が積極的に互いの社員を交換し、若い時から国ごとの文化や慣習を理解した上で戦略を練るマルチローカル性を身につけられる利点がある。

 経済に国境がなくなり成熟期に入った今、企業が求める人材像や雇用形態も変化していると、赤岩氏は強く意識している。

 企業が求めているのは自己をしっかりと確立しようとする人だ。幅広く仕事をするには語学も必要だが、自信の裏付けとなる力を内側にため、誠実な対応ができる人が望ましい。小手先だけでは長期間にわたっての仕事は持続しない。どこの国へ行っても、最後に相手の理解を得るのは誠実さだ。

 企業側も雇用の転換を迫られている。世間を見れば、同期との競争もなく横並び状態で何年も勤めてきた社員が「リストラ」の名目で退社を命じられている。それで困るのは社員だ。やり直しがきく若い時に、企業側がその会社への向き不向きを選別すべき時代に入った。

 若手は「〇〇社」に勤めたいという就社意識を捨て、どんな仕事をしたいかをはっきりと意思表示する。会社側も自分から学ぶ意欲があり、社風に合う人が生き残っていくように最初から激しい競争をさせるべきではないか。

(文中敬称略)

 日本リーバ 世界最大級の消費財企業で、世界に三百社以上の関連会社を持つユニリーバの一〇〇%出資会社。トイレタリー・石けん洗剤などの製造・販売。ラックス、ポンズ、ダヴなど有名ブランドが多数ある。本社東京。

 

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