トップ > 静岡 > 高校・大学周年特集 > 掛川西高100周年 > 記事

ここから本文

掛川西高100周年 天守の杜に

第3部 人物史編 政治家

思考確立へ議論展開 開拓精神養え

当時の思い出を語る衆院議員の柳沢伯夫氏=袋井市の事務所で

写真

 冀北学舎の時代から掛川西高は、国政へ、地方政治へと多くの政治家を輩出してきた。現役の衆院議員として経済再生に取り組む柳沢伯夫氏(昭29卒)に、高校生活の思い出や掛川西高への期待を聞いた。

 柳沢氏は静岡高の全日制に入学したが、家庭の事情で一年の二学期に定時制に変わった。その後、離職。二年から掛川西高に編入する変則的な高校生活を送った。

 当時の掛川西高はよく勉強し、よく運動もする、バランスのとれた生徒を育成する学校との感じが強かった。しかし、その中で、アウトロー的な生徒が数人集まった文芸部の存在を認める懐の深さもあった。

 掛川西高に転入したころは「自分とは何か」「人生いかに生きるべきか」「社会の仕組みはどうなっているのか」の三つの命題に自分なりの回答を見つけようと、狂気じみるまで思考を突き詰めていた。考えを確立するために議論し、理解を助けたのが文芸部の友人たちだった。結果的にこのころ考えたことが人生の基盤になった。

 東大法学部を卒業後、大蔵省入り。昭和五十五年に衆院議員に初当選。以来六選している。

 幼いころ実家は豊かではなかった。中学三年のころから、中国革命やロシア革命の本を読み、社会から貧困をなくすにはどうしたらいいか関心を持ち続けた。学生時代とともに経済成長期に入り、そのころ提唱された所得倍増論を実行しようと大蔵省入りした。

 今のように豊かな時代ならば政治家になっていたかどうか分からない。少なくとも自分の生い立ち、高校生活を経て、時代の流れとともに歩んできた結果だ。

 平成十年、初代金融再生委員長に就任。現在も、自民党内で経済再生シナリオ作成に取り組む。その目から掛川を見たとき、ビジネスに進出する人材が少ないと映る。

 日本の経済が閉塞(へいそく)している今、求められるのは科学技術。経済面ではベンチャービジネスを始める人材だ。この点から母校の掛川西高を見た場合、卒業生の進路は教師や行政職ばかりが目立つ。株式公開基準のハードルが低くなり、資本調達がしやすい時代になった今でもなお、ビジネスを志す人材が出てこない状況は歯がゆい。

 柳沢氏の持論に対するアンチテーゼで、「掛川の人は、他人の金を借りてまで自分のビジネスを大きくする気持ちはない」と、地域に根付く報徳思想を出されることもある。

 国際社会で日本がそれなりの立場を占めていくには、リスクを負っても商売を広げていく人材の養成が望まれる。それに、報徳思想には、米国のシリコンバレーの人々も興味を持っている。ベンチャーキャピタル供給の考えに通じる「推譲」にだ。

 「分相応の事業を」と自己規制して小さくまとまるより、推譲につなげるためにも、その前段階の勤倹でもっと事業を広げることを考えたらどうかと提案したい。掛川西高は一番、リスクテイクを避ける、堅実だけの学校に見えるが危険を冒しても開拓を目指す精神を、後輩たちにはぜひ養ってもらいたいと思う。

(文中敬称略)

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

中日新聞しずおかの記事はこちら

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索