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掛川西高100周年 天守の杜に

第3部 人物史編 地域医療に貢献

母校サポート、日曜診療も 3代で生徒の健康見守る

耳鼻咽喉科医師としてがんの早期発見に努める斎藤和夫さん=浜松市で

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 今年十月十日、一人の医師が亡くなった。六十九歳で生涯を閉じた舟木茂夫(昭24卒)=掛川市=は、小笠・掛川地区の地域医療に貢献した内科・小児科医として知られる。

 舟木家は、明治からの開業医で、茂夫は四代目。「医者の家に生まれた宿命だから」と勉学に励み、医学の道に進んだ。祖父で二代目の佳茂は、旧制掛川中の開校当初から校医を務め、昭和十四年には三代目の茂治(大10卒)にバトンタッチ。そして茂夫も同三十八年から引き継いだ。掛西百年の歴史のうち、舟木家の親子三世代で実に六十年以上も生徒の健康を見守ってきた。このほか、茂夫は前同窓会長として母校のサポート役に徹した。

 「患者が一人しか来ないと分かっている日曜でも、先生は医院を一日中開けて待っていた。ひたむきで古風な医師でした」「安い薬を選んでくれる親切な人でした」−。以前、茂夫から治療を受けた市民が感謝を込めてこう語る。昭和四十七年の掛川医療センター建設の際、茂夫は建設委員として医師会館部門の企画、設計を担当し、建設費に充てる寄付金を募るため、県外まで足を延ばし東奔西走した。小笠医師会の機関誌の編集にも長年携わり、中遠の医療に関する歴史などを丹念に調べた。

 「私のときと今は全然違う。医者は世襲制の時代ではないから、自分の好きな道を選びなさい」。父である茂夫からそんな言葉を聞かされた伸夫(昭56卒)=仙台市。だが、息子は何の迷いもなく父と同じ道を選んだ。現在、東北大付属病院で小児外科医として勤務する。「自分が掛西在学時に校医だった父。健康診断の日に級友から冷やかされるのが照れくさかったが、父の背中は大きくて頼もしく見えた」と懐かしそうに話す。将来については「具体的な計画は立てていないが、いずれ掛川に戻って地域の医療に貢献したい」と語った。

 高校、大学を通じて茂夫の後輩に当たる斎藤和夫(昭25卒)=浜松市=は、耳鼻咽喉(いんこう)科の開業医。斎藤が掛西を卒業したころ、戦争で手足を失った傷痍軍人が街角でアコーディオンを弾き、生活の糧となるわずかな施しを受ける姿が多く見られた。国のために命をかけて戦い、仲間が死んだ悲しみを乗り越えて懸命に生き延びたのに、敗戦後は手柄話すらできない人々。斎藤青年は「せめてこの人たちが病気で苦しまないように」と願い、がんの研究を熱心に進めた。

 耳鼻咽喉科領域のがんは、一命を取り留めても声や味覚、聴覚、きゅう覚などの機能を奪ってしまうケースがあるデリケートな部位。早期発見こそがカギを握る。斎藤は、がんを心配する患者に、内視鏡による患部画像を見せながらだれもが分かるように説明する。「がんじゃないよ」というひとことで患者の表情がほころぶ。反対にこれまでには、特異ながんも多数発見し、早期治療にこぎ着けた。

 親友であり、先輩である茂夫の死に対し、斎藤は「医者は人の死に対して哲学を持ち、冷静に向き合う職業だが、舟木さんにはよくかわいがってもらったから残念だ」と寂しそうに語った。

(文中敬称略)

 

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