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掛川西高100周年 天守の杜に

第3部 人物史編 想像と創造の表現

芝居の根底に故郷 独自の表現力 各分野で活躍

2年前の古里公演の際、旧友との記念撮影に気軽に応じる鈴木完一郎さん(左から2人目)=森町で

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 その人がいるだけで周囲が明るくなる。いつも笑いが絶えない。自分が身を置く世界で、幸せを振りまき続ける存在−。奔放な舞台作りで「イメージの暴れん坊」と称される劇団青年座(東京都渋谷区)の演出家、鈴木完一郎(昭40卒)=森町出身、東京都世田谷区在住=は、そんな人間だ。

 青年座で同期入団の俳優、西田敏行の才能を引き出した話はあまりにも有名だ。昭和六十一年には、文化庁在外派遣研修員としてスペインに滞在。以後、青年座公演のほかにフラメンコ、日舞公演の構成演出、商業演劇、他劇団の演出家としても活躍する。今秋は、米国ニューヨーク公演「ブンナよ、木からおりてこい」(水上勉作)の演出で好評を博した。

 完一郎は「完坊」という愛称で親しまれた。彼の高校時代の話題に触れるとき、同級生らは皆笑顔になる。完一郎と同じ剣道部に所属した森岡良明(昭40卒)=掛川市=も学生時代を思い出し、ちゃめっ気たっぷりに振り返った。

 森岡は「完坊は型破りな行動で、人を楽しませるのが大好きだった」という。剣道部の試合で完一郎は、メンバー表に自分の名前を「佐々木小次郎」と書いて提出し、そのまま呼ばれて大喜び。強豪校との試合当日には、浜松で開かれた女性アイドルの公演に立ち寄った先鋒(せんぽう)役の完一郎が、遅刻ぎりぎり。あわや不戦敗というところで突如現れ、劇的な一本勝ちを収めた逸話もある。高校三年時に同じクラスだった白松君子(同)=掛川西高英語科教諭=は「完一郎君は、昔から人を引き付ける魅力を持っていた。彼の人生そのものが、まさに“人間ドラマ”のようだ」と語る。

 在校時、完一郎が演劇部に出向き「ちょっとおれに演出させてみろ」と手掛けた作品が演出家への第一歩。「完坊は、もともと映画監督になるのが夢だったから、演劇にも幼いころから興味を持っていた」と森岡は言う。完一郎の今後のスケジュールは、十一月十八−二十六日に東京・下北沢の本多劇場で足尾銅山鉱毒事件をテーマにした「明治の柩(ひつぎ)」を、来年一、二月に静岡県内十六カ所で「無法松の一生」を公演する。

 古里や母校について完一郎は「どんな芝居をつくっても、想像と創造の根底にあるのは故郷の風景。『だれも知らない私だけのふるさと』が、私の創造の原点であり、そこには創造の神々が住んでいる」と語る。今後について「派手さよりも、素朴だがテーマがしっかりしたものを手掛けたい」と力を込める。

 母校掛川西高で長年、演劇部顧問を務めた桑原省司(昭34卒)=森高国語科教諭=は、掛川周辺地域に関する演劇、芸能の話題を取材し読み物にまとめてきた。それらには、映画「座頭市」やテレビドラマ「水戸黄門」のシナリオライターとして知られる故飯田覚治(昭元卒)、日本プロレタリア芸術連盟で評論活動を展開した故窪川鶴次郎(大9卒)、シェークスピア劇の翻訳や劇団「雲」主宰者として三島由紀夫とも親交があった故福田恒存(元掛川中英文教諭)らが登場する。

 現役組では、大蔵省職員から翻訳家に転身し、シャーリー・マクレーン作品の翻訳を中心に手掛ける山川紘矢(昭34卒)=本名山川俊宏、東京都町田市、児童文学評論家の清水真砂子(同)=掛川市、漫画家の所十三(昭54卒)=本名岡田信幸、東京都世田谷区=らが独自の表現力を振るい、各分野で活躍している。 

(文中敬称略)

 

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