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掛川西高100周年 天守の杜に

第3部 人物史編 天才プール

受験がつぶす才能 芸術文化衰退憂う

天才プールに通う若者たちと談笑する鈴木淳さん(左)=掛川市のアトリエで

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 才能あふれた“駿馬(しゅんめ)”を生み出す「冀北学舎」を前身に持つ掛川西高。しかし、進学校として色合いが強くなる一方の現状に、「創造力と自立。今の掛西の生徒には、人間として芸術家としての大切なものが欠如している」と苦言を呈するのが、掛川で十年、若者たちの芸術活動を支援してきたモニュメント作家鈴木淳(昭40卒)だ。

 鈴木は芸大音楽部へ進学後、ドイツ国立芸術アカデミー・デュッセルドルフ創造美術学部に進み、作品は米ニューヨークなど海外の美術館に収蔵されるまでに。JR掛川駅前のモニュメント制作で、平成二年帰国。四年後「新世紀に向けてクリエーティブな人材を輩出し、地域を変革していく“野の教育”をしよう」と「天才プール」を主宰した。

 天才プールでは、さまざまな世代の男女が音楽や美術に取り組む。何をやりたいのか目標を持ち、自分たちでファッションショーも主催する活動的な若者たちだ。

 通算七年で、天才プールに出入りした数は三千人を超える。しかし「掛西の生徒は一人もものにならなかった」。理由は「今の学校制度。受験と規律通りに育てれば、せっかくの若い才能も埋もれてしまう。内部改革の必要性を強く感じる」と語る。

 鈴木自身、芸大音楽部への進学を決めた高校二年の秋以降、授業には出席せず、早朝や夜間に学校でピアノの練習に励んだ。そんな特殊な通学を認める教師が存在し、学校側もそれを受け入れる余裕があった。「だから野球部の連中とは仲が良かった。受験勉強だけが高校生活じゃない。やりたいことのためにがむしゃらになっているという連帯感があった」

 世界の若者を見てきた鈴木には、掛西の校風が「急激な心身の老化現象に陥っている」と感じる。「何かを求めるのではなく、うまくこなす生き方をしている人が多くなった」

 鈴木が支援していたある掛西生は海外留学を一度は決めながらも、結局は受験とてんびんにかけて、留学をやめた。「社会を相手にするときは一二〇%の力で踏み込まなければいけないのに、八割の力でしかぶつかれない。その足りなさを、携帯電話のような便利な道具で補おうとするエネルギーの持ち方しかできない」

 鈴木には、掛川の風土も変革の対象と映る。天才プールで継続的にイベントを開催してきた。観世流シテ方梅若万三郎家に入門した長谷川晴彦(昭62卒)=東京在住=らが能を披露したこともある。鈴木の活動に触発されて、女優高木まみ子(昭59卒)=東京在住=が掛川で「遠州七不思議」を題材にした古里公演を続けている。

 「しかし、そういった動きには目を向けず、自分たちの地元に『芸術や文化があるわけがない』と思い込んでいる。イベントを七十回やったところで、気力が続かなくなりました」

 「地域や学校とのつながりができるまで−と思っていたが、内側から揺さぶってもにっちもさっちもいかなくなった」鈴木は来年夏、イタリアへ旅立つ。帰国予定はない。「どんな形になるのかは分からないが、今度は外側から刺激しようと思う」。十年かけてまいた“変化の種”がこれからどう芽吹いていくかを見守りながら。

(文中敬称略)

 

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