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掛川西高100周年 天守の杜に

第3部 人物史編 声楽家

文化祭でオペラ 国際的テナー2人目を輩出

文化祭で上演されたオペラの舞台風景(「掛中掛西高百年史」から)

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 音楽の授業は非常勤講師が教え、音楽(合唱)部はコーラス経験のある先生がたまに指導する程度。そんな掛川西高に昭和三十九年四月、新卒の飯田英夫=現清水西高校長=が赴任してきた。同校初の常勤の音楽教諭。これを機に、掛西高の音楽水準は飛躍的に高まることになった。

 飯田は早速、音楽部の指導にも当たる。基礎ができていない上、最初のコンクールは同校野球部が甲子園に出場し、延長十八回の熱闘が繰り広げられた翌日。「生徒たちはどんなに注意してもスタンドからのどがかれるまで声を出して応援していた」。このため結果は「ぼろぼろ」。講評は「元気な歌声でした」の一言だった。

 「ですが生徒たちは、旧制中のままの素直さがあった。一生懸命やればやるほどついてくる」。パートのバランスが悪く、部員は十二人だけ。「単なる合唱じゃなく、全員に必ずソロのパートがあり、個人の力も伸びる方法はないか」と考えた飯田は、文化祭でのオペラ上演を提案。四十二年の画期的な“事件”だった。

 当時、音楽ホールすらなかった掛川でのオペラ。「新しいものを試そうという進取の気風があるのか、演劇部の力も借りて、生徒たちは意欲的に取り組みました」

 神話を基にした「真間の手古奈」は三年が主役級を演じ、二年が端役。一年が裏方を務めた。ピアノ伴奏だけの本格的な舞台は好評を得、音楽部は翌年「ヘンゼルとグレーテル」を上演。オペラは葛城祭の呼び物の一つとなり、その後、数年間、「オペラの掛西」と称される土台を作った。

 こうして音楽分野で校内に活気が出ると、音大への進学者も増え始める。“スター”も誕生した。テノール歌手加納堅志(昭42卒)=東京在住=だ。

 幼いころからピアノが好きだった加納は、掛西高で飯田から本格的に声楽を学ぶよう勧められ、指導者も紹介された。「職員室の隣にある音楽室で授業もサボり、深夜まで練習しました。先生方も協力的で、零点に近い科目も単位を黙認してもらいましたね」

 「気兼ねなく」練習を続けて東京芸大へ進学。イタリアへ留学し、イタリア声楽コンコルソ(コンクール)で優勝。同校が輩出した国際的歌手の第一号となった。

 現在は「生活の潤いとしての音楽の素晴らしさ、生演奏を聞く楽しさを伝えたい」と、カンツォーネや映画音楽、ポップスも取り上げたピアノの弾き語りコンサートを掛川や東京で精力的に開いている。

 ただ残念ながら、今も掛川でオペラの舞台に接する機会はまれだ。掛西高でのオペラ上演も絶えて久しい。が最近、同校からまた世界に通じる人材が出てきた。榛葉昌寛(昭60卒)=イタリア・ミラノ在住=だ。

 ロックに傾倒していた榛葉が一転、オペラ歌手を目指すことになったとき、頼ったのが加納だった。加納がレッスンを施し、榛葉は芸大へ進学。昨年、「椿姫」のアルフレード役で、日本人テノール久々の本格的イタリア劇場デビューを果たし、期待の逸材として注目される。声楽を通じて、飯田から加納へと渡ったバトンは、次世代へと確実に手渡されている。

(文中敬称略)

 

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