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掛川西高100周年 天守の杜に

第3部 人物史編 法曹界

砂川事件の伊達判事 米軍駐留に違憲裁定

砂川事件の舞台となった立川飛行場跡。昭和記念公園などに姿を変えている=東京都立川市で

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 旧制掛川中、掛川西高百年の歴史は、法曹界にも多くの逸材を送り出した。

 なかでも人情家の裁判官として知られた故伊達秋雄(大14卒)=後に法政大教授=は代表的な一人。昭和三十四年三月、東京地裁判事だった伊達は、在日米軍が使用する立川飛行場の拡張計画をめぐり、国と東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)の間で争われた「砂川事件」を担当。反対派と警官隊が衝突し、数百人の負傷者を出した土地の強制測量で、刑事特別法違反に問われた町側を無罪、米軍駐留を違憲とする“伊達判決”を下したことで有名だ。

 判決に関して伊達は「日本に戦力がないから、米国の戦力で日本を守ろうというならば、従来の武力によって国を守ろうという考え方と少しも変わらない。これは日本国憲法が掲げる平和主義の高い理想に反する」と語っている。事件はその後、最高裁による一審判決の破棄・差し戻しという変転を経たが、現在、立川飛行場跡地は国営昭和記念公園など市民の憩いの場に姿を変えている。  法政大図書館には、伊達に関する論文、資料が今も多く残る。それらによると、高校時代の伊達は軍事教練に反対して安倍川渡河演習を拒否したり、銃掃除の命令に従わなかったという。昭和十七年には、満州国司法部刑事司参事官として大陸へ渡ったが、不当に拘束され、強制労働を強いられた中国人らを次々と釈放した、との逸話が伝わっている。

 伊達は京大在学中、当時法学部長だった先輩の故宮本英雄(明40卒)から「裁判官は人間味が大切。被告人から『この人の裁判を受けてよかった』と思われるようになれ」と薫陶を受けた。「法廷は厳粛に、といわれるが、被告人は人生の瀬戸際に立たされているわけだから、感情に激し抑制のきかないこともあり得る。私はむしろ法廷は和やかにという気持ちが強かった」と後に語った。

 伊達判決が出た年、掛川西高を卒業した杉田雅彦(昭33卒)=静岡市追手町=は現職の弁護士。「伊達さんの偉大さを卒業当時は知らなかった」という杉田だが、債権取り立てや交通事故の示談交渉などに暴力団が関与する民事介入暴力、いわゆる民暴に敢然と立ち向かった“ミンボー弁護士”として知られる。平成四年の暴力団対策法施行の際「民暴は弁護士だけで解決できない。市民と警察がスクラムを組んで暴力団に対抗する必要がある」と、全国を講演に飛び回った。日弁連の民暴対策副委員長や静岡県民暴被害者救済センター運営委員長などを歴任。浜松の一力一家組事務所進出騒動で盛り上がった県内の暴追運動を引っ張り、平成二年に静岡市内の組事務所の撤去運動を成功させた実績も持つ。

 交通関係の裁判が多く、論文も多数。最近は判断の難しい交通事故と心的外傷後ストレス障害(PTSD)をめぐる諸問題に力を入れる。「裁判官、弁護士、検察官−法曹三者は正義感がすべて。どんなに法律の知識を蓄積しても、世のため人のために動けなければ、まったく意味がない」。そんな言葉が、ひたむきな生き方を物語っている。

 このほかに、著作権法の法制化に尽力した弁護士の故榛葉専一(明41卒、のちに掛川市長)、元高松高裁長官で弁護士の大石忠生(昭24卒)=横浜市、弁護士の沢口嘉代子(昭35卒)=静岡市、前・静岡県弁護士会会長の岩本充司(同)=浜松市、岡本義弘(昭43卒)=静岡市=ら、第一線で活躍する卒業生は多い。 

(文中敬称略)

 

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