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掛川西高100周年 天守の杜に

第3部 人物史編 移民植物学者<下>

初の小笠町名誉町民 日伯共生へ功績

黒田町長(右)から名誉町民顕彰状を受ける橋本梧郎さん=平成10年10月、小笠町で

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 植物学者橋本梧郎(昭4卒)=ブラジル・サンパウロ市在住=の出身地は小笠町。生家の目印は大きな二株の老松だった。

 父孫一郎は、その松にちなんで名付けた私塾「双松学舎」で、入学金や月謝を取らず貧しい農村の子弟教育に力を注いだ。賀茂真淵の流れを引く国学者で、二宮尊徳を信奉する孫一郎は、生徒への手本として自身の子に厳しかった。五人兄弟のうち、四男までは体格にも恵まれた優等生ぞろい。長男弘綱は二代目舎主となり、小笠の教育長も務めた。

 五男で末っ子の梧郎は兄たちと違いきゃしゃで、ただ、野山を一人で歩き回り植物を集めるのが好きだった。

 「双松学舎では好きな植物の勉強ができない」

 父の猛反対を押し切って、梧郎が県立掛川中(現掛川西高)へ進学したのが大正十四年。そこで出会った博物学の勝又秀丸教諭(故人)から「植物を勉強するには気長に山野を歩き、一種類でも多く自分の手で採取することが大切だ」と教えられたことに意を強くした梧郎は、在学中に植物研究誌を発行したり、学名を知るためラテン語を学ぶなど、ますます植物学に没頭。「世界で一番、植物の多い国へ行ってみたい」というブラジル移民の夢を二十一歳で決行した。

 「今と違い、外国で暮らすなど到底、望むべくもなかった時代。海外に渡ったはいいが、帰るに帰れないという人も多かった。苦しい中を生き抜き、好きな植物を追い求めた梧郎さんの強い意志は立派だ」。ブラジルに渡った故金田寛司(昭32卒)を同級生に持つ溝口博之(同)=掛川市=は、若いころ同じように移民を考えた一人。

 戦後、シベリアに抑留されていた父親が帰国し療養していたころ、図書館でブラジル移民を募集するポスターを見掛けたという。「家族にブラジルへ行きたいと相談したら祖母がオイオイ泣き始めてね。それで私は断念しました」

 「孫一郎は、五男坊に『悟郎』と命名したつもりだが、いつのまにか梧郎になっていたと聞いた。でも植物学者にはキヘンの梧郎の方がふさわしいのかもしれない」と話すのは、梧郎のおいに当たる橋本雅之(昭20卒)=小笠町。

 平成二年に勲五等双光旭日章を受章。ブラジル固有の薬草二千百六十八種を網羅し日本語でまとめた大著「ブラジル産薬用植物事典」は第三十三回吉川英治文化賞を受賞した。出身地の小笠町では平成十年、小笠町名誉町民条例を制定、梧郎を初の名誉町民に選んだ。同年十月、愛知県豊橋市で開かれた国際植物増殖者会議で講演のために来日した際、同町内で名誉町民顕彰式が開かれ、町長の黒田淳之助(昭30卒)が顕彰状を贈った。

 小笠町は現在、人口約一万六千人のうち約千二百人が日系ブラジル人。

 「今年の町の夏祭りにはブラジルのサンバグループが参加するなど、着実に日伯共生の道を歩んでいる。これも梧郎さんという大きな存在のおかげでしょう」(黒田)。町では平川地区に建設予定の新公園に、近く梧郎にちなむ南米産植物を植える予定だ。

(文中敬称略)

 

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