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掛川西高100周年 天守の杜に

第3部 人物史編 移民植物学者<上>

15万点超す採集標本 現地での営農、指導でも貢献

久しぶりに帰国して、古里・小笠町で講演する橋本梧郎さん=平成10年10月

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 ことし八月、掛川市内のホテルで開かれた掛川西高創立百周年記念同窓会で、一人の旧制中学出身者が特別表彰を受けた。サンパウロ市博物研究会植物標本館長、橋本梧郎(昭4卒)。八十七歳の今も現役の、在ブラジルの世界的な植物研究者で知られている。

 掛川中(現掛川西高)時代から、橋本はすでに、暇さえあれば小笠山などで植物採集に熱中する“学者の卵”だった。二十一歳で移民として渡伯したのも、珍種の植物を現地に求めてのことだ。

 「南米大陸は昔から植物の宝庫と呼ばれていたし、あのころは国がブラジル移民を奨励した。長い船旅や、食べるのもやっとだった貧しい時代も懐かしい思い出です」。地球の裏側に夢をはせ単身、日本を離れた六十六年前を、橋本は今、静かに振り返る。

 一九三五(昭和十)年の夏。移民翌年の橋本青年は生涯忘れ得ない事件に遭遇した。

 サンパウロ州エメボイの農業学校で学ぶ橋本はその日も植物採集に出掛け、原生林の中を歩いていた。うだるような暑さ、来た道も分からなくなるほどの深い緑の海。疲れと空腹で意識が遠のきかけた時、突然、女性の悲鳴を聞いた。「日本人のようだ」。声の方角にしばらく走ると、粗末な小屋が建っている。

 「その小屋の中は地獄絵図のようでした。大人と子どもが十人以上、折り重なるように死んでいて、そばで女性が泣き崩れていた」。争ったような跡はなく、イモの一種のマンジョーカが転がっているだけ。マンジョーカには、猛毒の青酸が含まれている種類もあり、女性が留守の間に家族が知らずに食べてしまったらしい。移住して間もない貧しい生活の中、唯一の楽しみである家族だんらんのひとときが一転して、悲劇になった。「植物の知識を移民の人々に教えたい」。この出来事が、後の橋本の生き方に大きな影響を与えたという。

 橋本はエメボイ農業学校で学んだ後、移民の営農指導などに貢献する一方、日本の二十三倍もある広いブラジル国土やボリビアなどを踏査した。ブラジル日本語学校長、パラナ州グアイラ市農事試験場長、セッテ・ケーダス博物館長、パラナ開拓農業博物館長などを歴任し、日伯両国の研究者や教え子から親しまれている。

 特にグアイラ市での二十年以上に及ぶ調査研究、採集標本は、昭和五十三年以降、同地域の原野がダムの建設で水没したために姿を消した植物もあり、貴重な資料となった。新種を含め十五万点以上の標本は地球の自然資源データとしても多大な価値を持つが「生活のために働き、その傍らで調査を行った結果です。六十歳を過ぎてやっと研究中心の生活ができるようになった。まだまだ私の挑戦はこれからです」。八十七歳の今も目を輝かせる。

(文中敬称略)

 

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