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掛川西高100周年 天守の杜に

第2部 部活動編 白岩遺跡

「弥生」発掘に熱中 知的探求の 面白さ体験

白岩遺跡や弥生式土器についての考察も掲載された「ふるさと」創刊号

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 両手にすっぽりとおさまる大きさの、口が少し欠けた赤茶色のつぼ。「近所でこんなものを見つけた。出土場所を見にくるか?」。清水俊郎(昭26卒)=磐田東高講師=が後輩の田辺昭三(昭27卒)=神戸山手大教授=にかけたこの何気ない一言が、のちに県西部における弥生時代後期の標識遺跡となる「白岩遺跡」の本格調査の始まりだった。

 土器が見つかったのは、加茂村(現菊川町)白岩の河川改修工事現場。昭和二十三年、ここでアルバイトをしていた清水が、出てきた土器をもらいうけて田辺に見せたのだ。

 以前から考古学に興味があった田辺は、同年夏の登呂遺跡の発掘に参加。同級生の関七郎=掛川市中央=、筧正=日鉱石油化学監査役=、加茂良夫=那覇市=や上級生の鈴木満帆(昭25卒)=浜松市富塚町=らと郷土研究部をつくっていた。清水から手渡されたつぼが弥生式土器であることも、すぐ分かった。

 現場に行くと、掘り返された土の中に土器が無造作に散乱している。無数の土器が折り重なって黒く見える部分もある。田辺は段ボール箱二、三杯分の土器片を拾い集めた。

 偶然も手助けした。この年、東洋大付属中から掛西へ転任してきた松下伊兵衛教諭が、白岩の状況を考古学者の和島誠一・同大教授に連絡、大規模な発掘調査へと発展した。「大変なことになった、と驚くばかりでした」と“第一発見者”の清水が当時の気持ちを語る。

 その年の冬に発掘が始まると、部員たちは放課後や冬休みを利用して毎日、現場へ通った。作業は朝八時から日没まで。土の色の違いや混入物を目安に、上層から下層へ慎重に土をめくり、遺物を探す。

 「私たちが調査の大学生たちと対等にやれるのは、スコップの水洗いぐらいだった」(田辺)。初めて目の当たりにした本格的な発掘調査。白岩遺跡では、遺構の範囲を確認するボーリング調査や電気探査など、当時の最先端技術が投入された。科学的な手法と、夜ごと公民館で繰り広げる徹底的なディスカッションは、部員たちに学問のち密さと面白さを教え込んだ。

 和島教授と出会った田辺は、いよいよ考古学に傾倒して学者の道に進む。他の部員たちも「田辺に負けじ」と研究にまい進し、成果を集めた郷土研究部誌「ふるさと」を創刊。筧は二年の時、京都大で開かれた人文地理学会で県内でのフィールドワークをまとめた「河城村人口論」を発表し、清水は有孔虫の研究で第一回高校理科研究発表会で理科賞を受賞。関は掛川城の研究家として名を知られるようになった。

 半世紀後の今、清水は語る。「知的探求の面白さ。生涯役立つこの基礎をつくってくれたのが白岩遺跡でした」

(文中敬称略)

 

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