トップ > 静岡 > 高校・大学周年特集 > 掛川西高100周年 > 記事

ここから本文

掛川西高100周年 天守の杜に

第2部 部活動編 女子バドミントン

総体常連の中山、天野 世界を制すまでに

 掛川西高はバドミントンでも、世界を舞台に活躍する逸材を生んだ。中山(旧姓高木)紀子(昭37卒)=日本女子体育大講師=は世界四大大会の一つ、全英選手権に八回出場し、昭和四十六年複(ダブルス)優勝、四十七年単(シングルス)優勝など、日本の第一人者として名をはせた。掛西時代からの中山のパートナー天野博江(同)=東海女子短大教授=も国内外で活躍。世界女子バドミントン選手権大会(ユーバー杯)の第四回大会(四十一年)、第五回大会(四十四年)では、中山とともに優勝カップを手にした。

 中山と天野がバドミントンを始めたのは、掛西に入学してから。当時から掛西の女子バドミントン部は県内トップレベルで、毎年のようにインターハイに出場していた。中山は二年生だった昭和三十五年、続く三十六年とインターハイに出場したが、天野と組んだ三十六年大会には、忘れられない思い出がある。

 五月に富士市で開かれた県予選で、中山の右手首に激しい腱鞘(けんしょう)炎が起きた。

 「手首が痛くて動かない。棄権しかないと思っていたら、天野さんが『だめでもともと。私が頑張るから試合を続けよう』と言ってくれたんです。試合で、私はラケットを手首に包帯で縛り付け、コートに立っているだけ。天野さんがシャトルを拾いまくり、なんと決勝まで勝ち上がったんです。インターハイには2位まで出られるので決勝は棄権。結局、その年のインターハイには複と団体に出場することができました」

 三十六年の出場部員は、ほかに中井(旧姓永田)マリ子(昭36卒)=袋井市=や安達佳南海(同)=掛川市=、山本(旧姓深沢)政江(同)=同=ら。団体では好成績は残せなかったが、複で中山・天野組が3位入賞を飾った。

 掛西卒業後、中山と天野は日本女子体育短大に進学。名指導者とうたわれた今井先監督のもとで練習を重ね、日本を代表する選手に成長した。

 中山は、全英大会以外にも三十八−四十六年の全日本チャンピオンで単五回、複六回の優勝、四十一−四十七年のユーバー杯では三回とも主将で優勝。四十一年にはアジア大会の団体と単を制した。バドミントンが公開競技だった四十七年のミュンヘン五輪でも単で1位を占めている。

 卒業からほぼ四十年。ともに大学で後進の指導にあたる中山と天野が、長いバドミントン人生を振り返ってこう語る。「掛西の顧問・藤江稔先生、日本女子体育短大の今井監督という指導者に恵まれ、いろいろな経験ができた。バドミントンを続けてきて本当に良かった」(中山)。「掛西に入学し、バドミントンに出会って私の人生は大きく変わった。出会ったすべての人に感謝したい」(天野)。

 掛西バドミントン部は今年四月からOGの國川(旧姓大井)淳子(昭55卒)を監督に迎えた。輝かしい歴史のもと、古豪復活を目指した新たな挑戦が始まった。

(文中敬称略)

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

中日新聞しずおかの記事はこちら

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索