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掛川西高100周年 天守の杜に

第2部 部活動編 甲子園初出場

島田商下し切符手に 選手宣誓引き当てる

昭和13年、甲子園球場で整列する掛中ナイン

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 十回表、二死二塁。打者のするどい打球は、ショート真正面へ飛んだ。だれもが「ああ、これでまた延長が続くのか」と思った瞬間、打球は遊撃手の前で跳ね上がって左前へ抜け、走者の村松幸雄(昭13卒・故)がヘッドスライディングでホームを陥れた。その裏、二死三塁のピンチも最後の打者を中飛球に打ち取った。

 戦時色が日増しに濃くなる昭和十三年八月五日、掛川中(現・掛川西高)は静岡球場で開かれた山静大会で宿敵・島田商を延長十回の末、1−0で破り、初の甲子園(第24回全国中等学校野球選手権大会)切符を手にした。

 エースで“東海の速球王”と呼ばれた主将・村松、守備のかなめの杉山賢司(昭14卒・故)と鈴木正義(昭14卒)、抜群の野球センスで二年からレギュラーだった笹野真一(昭16卒)、体つきから「豆タンク」の愛称で親しまれた山崎諭(昭13卒・故)ら−。当時のチームカラーを、掛川市内で長く建設会社を営んできた馬場邦夫(昭13卒)は「派手さはないが、堅実なチームだった」と評する。

 昭和初期の静岡県は、島田商を筆頭に静岡中、静岡商の三校が圧倒的な強さを誇っていた。甲子園より、まず「三校打倒」を目指した掛中の選手たちは、小宮一夫監督(後に静岡市教育長)から「点をやらなければ試合には負けない」という“守備の野球”をたたき込まれた。

 「手に豆ができても包帯をしながらノックを打ち続ける小宮監督の姿に皆、感動しながら白球を追っていた。全員が“打倒島商”と叫んでバットを振っていた」(馬場)。そのねばりが競り合いの決勝を制した。

 甲子園の開会式。村松は運良く選手宣誓のくじを引き当てた。「われらは武士道の精神に則(のっと)り、正々堂々と試合し、誓って中等学校野球の精神を発揮せんことを期す…」の一句一句がシュプレヒコールのスタイルで、整列した全選手が唱和した。続いて“愛国行進”の大合唱になり、戦時色が濃い大会の幕開けとなった。

 一回戦の坂出商(香川)との対戦は0−2で完敗。二つのエラーを出し“守りの野球”を発揮できずに終わった。しかし「島田商をやっつけたことが大きくて、甲子園での敗戦は正直、それほど悔しいとは感じなかった。ほかの選手も同じような気持ちだった」と、当時を振り返る馬場の表情はさわやかだ。

 この甲子園組をはじめ野球部員の多くが、後に戦争の大きな渦に巻き込まれ、名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)に入団した村松ら若き才能が次々と戦場に散っていった。

(文中敬称略)

 

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