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磐田南高校80周年 磐田が原の台地に

第4部 OBと語る 山内元磐田市長 労働の意味を学んだ

 八十年の歴史の中で、旧制見付中学校・磐田南高校は、二万人を超えるOBを輩出してきた。第4部では、各界で活躍するOBを、在校生との語らいを通して紹介する。

 初回は中三回卒で、磐田市の市長を五期二十年務めた山内克巳さん(91)=磐田市草崎。見付中学校初期の労作教育や、オリンピックメダリストを輩出した水泳部などについて聞いた。聞き手は、一年生の笹野佑介さん、鈴木愛乃さん、鈴木健史さん。

     ◇

 市長をしていたころ、磐南の昼間定時制を浜松北高と合併しようという話があった。しかし、生徒の職場の人から「有名な磐田南高校に入れるのなら、と親元を離れて全国から生徒は来ているのだから、存続を」と言われた。それを聞いて、全国に磐南の卒業生として誇りを持って生きている人がいると思った。私たちも、自覚を持って生きないと。昔の話をすると、質実剛健という今の校訓は、当時からあった。冬でもはだしで歩いていたしね。

 −はだしでずっと歩くんですか(笹野)。

 そう。労作教育では師弟同業で教師も生徒もモッコをかついで働いた。近くのお宮の掃除もした。ボランティア、労働の意味を学んだ。

 −すごい大変で、そんなに働くと体が痛かったでしょうね。今は労作教育はないですが、またやった方がいいと思いますか(鈴木愛)。

 今は時代が違う。そういう気持ちはあっても、難しいんじゃないかな。今の生徒に強要してもね。それでも、当時から進学率は良かったんだよ。同級生は東大に四人、京大に二人。医者も八人いる。

 −すごい(鈴木愛)。

 卒業しても校訓の「真剣至誠」の気持ちが残っているから、みんな頑張った。

 −学校生活で楽しかったことは何ですか(笹野)。

 苦しいことの方が多かったね。でも、水泳部は楽しかった。当時の顧問の先生にひかれて、選手じゃなかったけどコーチをしていた。オリンピックで優勝した寺田登が「泳いでるときに学校の練習での苦しさを思い出したら、足が軽くなった」と話していたのが印象に残っている。

 −今の磐南生を見ていて、こうすればいいということはありますか(鈴木健)。

 良い友だちを作ってほしい。喜びも悲しみも共有できるような友だちを。あと、「ウォームハート(温かい心)」「クールヘッド(冷静な思考)」「ストロングウィル(強い意志)」を持って頑張って。

 −最後に、長生きの秘けつを教えてください(鈴木健)。

 毎晩、一時間くらい散歩していることかな。その間に趣味の俳句も考えています。

 −ありがとうございました(三人)。

磐南を語る 3年 松本 朋実さん

 磐田南高校とは。という問いに対しての私の答えは、まず最初に「自主性」であると思う。人に流されない。自分の意志、考えを持つ。それがいかに大切かを教えてくれる学校だと思う。また、一つの夢や目標に向かって、最大限の努力ができる場であると思う。そのような価値ある環境の中で、今の私たちがどう生きるか、どう今の磐田南高校を踏襲するかが、八十周年を迎えた磐田南高校の生徒としての一つの課題ではないかと思う。

(文中敬称略)

 

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