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磐田南高校80周年 磐田が原の台地に

第2部 部活動、今昔 野球部(上) 物資不足 苦難の創部

昭和22年、創部当初の野球部。胸にはまだ「Kenchu」の文字。前列左から2人目が加藤さん

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 八十年の歴史の中で、磐田南高校に野球部ができたのは戦後だった。戦前にも野球部創設の動きはあったが、実現しなかった。「野球はお金がかかる」と、勤倹節約をむねとした尾崎楠馬・初代校長が反対したから、という逸話を聞き伝えているOBも多い。

 しかし、野球をやりたい生徒も多かったらしく「内証で、近くの小学校の先生と試合をしたことも」と石川博敏さん(90)=磐田市見付、中四回卒=は懐かしそう。「女子がスポーツをやり、いろいろな部活がある今では考えられないね」

 「なんで野球部がないんだろうな」。戦争末期に見付中学に入学した加藤喜一郎さん(71)=磐田市見付、高一回卒=は、そう思った。戦前は剣道部に所属。有望選手だったが、学徒動員で部活動もできなくなった。

 戦後になって加藤さんは、野球部を作る動きに参加した。見付中時代の昭和二十一年、趣味のクラブとして設立。すぐに正式な部となり翌二十二年には初めての県大会に出場した。

 「ひどい野球部だった」。戦後のこの時期、物資は極端に不足。部員で金を出し合って買った練習用のボールも五、六個。毎日のようにボールの糸が切れたので、家で部員が縫っていた。グローブも柔らかい軟式用。「硬式ボールで練習すると、手がはれあがった」と加藤さんは笑う。

 そんな状況を見るに見かねたOBが、立ち上がった。石川さんや水泳部出身の稲垣丈夫さん(93)=磐田市西町、中二回卒=らが中心になり、後援会を立ち上げた。「うれしかったね。石川さんの家で雑魚寝して、合宿もした」と加藤さんは今でも感謝している。

 最初の大会では、一回戦で強豪・静岡中(現・静岡高校)と対戦。「伝統校相手に六回までは一対一で張り合った。七回に七点取られてコールド負けしたけど」。初代主将だった加藤さんの最後の試合だった。

 そんな草創期の野球部OBの今の願いは、ただ一つ。「私たちの元気なうちに、甲子園に行きたい」。加藤さんも激励の意味を込めて話す。「そうなれば、OBとしてユニホーム一式くらい寄贈しますよ」

磐南を語る 3年 伊藤綾奈さん

 私は部活動を頑張っています。部員九人と人数の少ない部活ですが、みんなバレーボールが大好きで、練習にも力が入っています。順調に勝ち進み、二回連続で県大会に出場することができました。でも二回とも一回戦敗退でした。今の夢は県大会で勝利を挙げ、「磐南女バレー」の名をみんなに覚えてもらうことです。あと少しのバレー人生ですが、精いっぱい青春しようと思います。あっ、あと勉強も…。

(文中敬称略)

 

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