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磐田南高校80周年 磐田が原の台地に

第2部 部活動、今昔 サッカー部(上) W杯地元開催に万感

戦前のサッカー部。当時は県内にも数校にしかなかった

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 目前に迫ったサッカーワールドカップ。磐田市は日本代表チームのベースキャンプ地、隣接の袋井市には大会会場を控える。「サッカー不毛の地」と言われた磐周地区のこれほどの発展に、磐南サッカー部OBらは特別な思いを抱いている。

 前身の見付中学にサッカー部ができたのは昭和五年。サッカー王国静岡でも、当時からサッカー部があったのは浜松北高、藤枝東高、静岡高の三校で、磐南の中でも歴史のある部だ。

 前年暮れ、サッカー経験のある宝地戸重雄教諭が赴任した。最初の部員、乗松義親さん=中五回卒=が野球部を作ろうとして尾崎楠馬・初代校長に「野球は金がかかる」と言われた矢先だった。「野球よりおもしろいスポーツがあるぞ」。宝地戸教諭がそう声を掛けた。

 「慌て者、集まれ!」。宝地戸教諭の呼びかけに応じた十五人ほどのメンバーでのスタート。みんな素人で、最初はただひたすらボールをけっていた。「私も“慌て者”の一人」と笑うのは鈴木章さん(85)=浜松市新津町、中八回卒。「当時はボールの準備も一仕事。チューブに空気を入れて周りの皮を縫っていた。ヘディングすると、この縫い目が当たって痛かった」と振り返る。

 戦後の物資のない時期は、シューズすら貴重品だった。「先輩にもらったお下がりの靴でさえ、もったいなくて試合の時しか履かなかった」と話すのは八神英典さん(68)=豊田町森下、高四回卒。練習は冬でもはだし。ボールも少なく「少しでもけりたかったから、われ先にボールに向かって走った」。

 サッカーがまだ「蹴球」と呼ばれていたころの磐南OBたちは、磐田市内にとどまらず県西部サッカーの発展の礎を築いてきた。教師になった者は、赴任先で次々にサッカー部を創設。同市内のサッカー少年団も、磐南OBたちの手で立ち上げられている。

 磐田市でのW杯日本代表合宿は、そういった関係者の活動の集大成。「W杯の地元開催は夢のような話」と鈴木さんは感慨深げ。県サッカー協会西部支部会長を務める八神さんも「チケットが手に入ったので楽しみ」と目を輝かせている。

磐南を語る 3年 村松尚趣哉さん

 磐南には、実に個性的で生徒に愛情がわき出ている先生方が多いと言える。生徒に愛着を持たれて話のネタにされる先生、まじめに生徒を導く先生、かたや生徒を華麗に自分のペースに巻き込む先生など、十代の青春を彩るには欠かせない先生ばかりである。このエネルギッシュな雰囲気によって、磐南生は現代社会に強烈な衝撃を与え、病床にあるこの社会を全快させる劇薬となることが可能なのである。

(文中敬称略)

 

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