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磐田南高校80周年 磐田が原の台地に

第2部 部活動、今昔 陸上部(上) 終戦直後 初の全国制覇

昭和23年、第1回インターハイの学校対抗で優勝した陸上部メンバー

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 磐田南高校の戦後は、陸上部の活躍で幕を開けた。戦後すぐの昭和二十二年、第二十九回インターミドル大会で見付中学陸上部は学校対抗で初の全国制覇。新制高校となり一年間だけ磐田第一高校と名乗った翌二十三年には、第一回インターハイで優勝。第五回、第七回にも優勝し、“磐南陸上部”の名を全国にとどろかせた。

 当時、部を率いていたのは、伊藤菊造教諭=中九回卒。昭和十八年春に母校に赴任、器械体操が専門の体育教諭で、授業中に校庭の鉄棒で「大車輪」を披露して生徒をうならせたが、陸上に関しては素人だった。

 「走れ!」。伊藤教諭の指導は、技術的な点はあまりなかったという。その代わり、同校が出場した陸上大会の新聞記事をいつも生徒に見せて、生徒を鼓舞した。「いいか、一位と二位では記事の大きさもこれだけ違うんだ。チャンピオンにならないと意味がないんだ」。生徒は張り切った。

 第七回インターハイで優勝したときの部員で、現在スズキ副社長の筒井昭さん(65)=浜松市幸、高七回卒=は振り返る。「伊藤先生がよくくわをかついで草をむしり、グラウンドを鏡のように整備していたのを思い出す。げたで歩く生徒には怒鳴っていました」。選手が走るグラウンドを愛し、気持ちを行動に表した。「グラウンドの虫」と呼ばれていたゆえんだ。

 そんな姿に、生徒はこたえた。伊藤教諭が昭和三十八年に同校を去るまで全国大会優勝四回、八位以内の入賞が七回と輝かしい成績を残した。巣立ったOBの中には、アジア大会に出場するなど世界で活躍した選手も。

 昭和二十九年の第七回インターハイで優勝した際、伊藤教諭は陸上雑誌に勝因として「精神面での団結が大きかった」と寄せている。筒井さんも「伊藤先生には精神的にしごかれた。その分、地道に努力し、成果があった。活躍はある意味で自然な結果」。

 当時の陸上部員にとって精神的な支柱だった伊藤教諭。「人生いかに生くべきかを教わった」と口をそろえるOBは今、「菊友会」という会を年に数回開催し、恩師をしのんでいる。

磐南を語る 2年 山下 薫さん

 磐南に入学して早一年…。ここいらで他の高校と違う点が明白になってきた。それは戦えることだと思う。中学の時の友人の中には「やめな、あきらめな」と苦しくなったときに言葉を投げかけてくる人も少なくなかったが、磐南に来てここでその言葉を私は一度も聞いたことがない。だれもが戦っている。そんな中で以前は自分に甘くなりがちだった私もおそらくは、いやきっと戦えるようになっているに違いない。互いに伸びゆく磐南生として。

(文中敬称略)

 

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